おはようございます。ひたちなか市足崎にありますひたちなか教会の牧師、小宮山裕一です。
最近、終活という言葉が流行っているようです。就活といいましても就職活動ではありません。どのような終わりを迎えるのか、という終活です。
今日はイエス・キリストの死について考えてみましょう。
教会にある十字架。あの十字架は、イエス・キリストが殺された時の道具でした。キリストは何一つ、罪はなかったのですが、人々のねたみと恨みを買ってしまい、十字架につけられたのです。
しかしながら、キリストの十字架はただの処刑ではありませんでした。キリストが十字架に向かった理由。それは、一人一人が孤独から解放されるためでした。
キリストは息を引き取る直前にこのように叫ばれました。
3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
(マタイ 27章46節)
キリストは、神に見捨てられたと感じるほどの孤独と苦難を身に感じながら、十字架につけられたのです。ですから、キリストを信じる人は神に見捨てられることはありません。キリストが身代わりとなってくださり、神と共に生きるための道を用意してくださったからです。
キリストは、私たち一人一人のために十字架上で死なれました。このお方を信じることによって、私たちは神様と共に生きることができます。それは、あらゆる孤独から私たちを解放する確実な方法なのです。