キリストへの時間 2019年1月27日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

小野亜洲子(清水教会会員)

小野亜洲子(清水教会会員)

メッセージ: 共にいてくださる神

 おはようございます。私は清水教会(伝道所)の小野亜洲子です。清水教会(伝道所)は2013年11月、新会堂の献堂をした新しい教会です。都市計画により小さな山は壊され、周辺には新しい住宅が建ち、日当たりの良い場所にあります。少ない会員ですが、2015年張在b牧師(宣教教師)が就任され、礼拝を守って下さっています。

 私は高校3年生の夏、南与力町教会の牧師であった橋元亘先生から「イエス・キリストを唯一人の救い主であると信じますか。」との試問を受け、深く考えることもなく洗礼を受けました。今思えばまことに恥ずかしい限りです。でも若かった私は詩編23編の1〜3節「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。」というみ言葉に心動かされ、清々しい思いに、満たされました。神様の大きな愛と恵みに感謝し、喜びを覚えたことでした。

 年を経て結婚、子育て、仕事と、教会から遠ざかる生活でしたが、橋本亘先生は年に何回かは「四国伝道」の機関誌を送って下さいました。お目にかかった時にお礼を申しますと、「私が洗礼をさずけた方には送っています。読んで神様を思い起こして下さい。」とおっしゃったことを忘れることはできません。

 次に娘のことについてお話しさせていただきます。私には3人の娘がいました。娘たちにも神様の存在を知っていてほしいと思い、近くの教会の日曜学校へ行かせました。末の娘は中学校の時から高知市内の学校へ行かせたこともあって、改革派高知教会の礼拝に出席し、牧師先生、教会員の方々には大変親切にしていただいていました。

 当時娘はわたしの母のもとに託してありました。礼拝から帰ると母に「おばあちゃん、今日の説教はこんなだった。」と詳しく話していたようです。母は嬉しそうに話してくれました。

 娘は高校1年の夏、洗礼へと導かれました。教会から遠ざかっていた私もとても嬉しく、神様に感謝したことでした。娘にも「信仰を持っていたら、今から先、社会に出て、いろんな困難や苦しみにあっても、それらのことは半分で済むよ。」と声をかけ、神様の愛に感謝し、2人で喜び祈りました。その頃から私も宿毛教会の西俊男先生の車に同乗させていただき、清水教会(伝道所)の礼拝に時々は出席するようになっていました。

 それから8ヶ月後、娘は修学旅行中、上海郊外で列車事故に遭い、召されたのです。これからという時、本人は夢や希望を抱き、どんな人生を送ることになるだろうと楽しみにしていました。突然子供を失ったことは、言葉には出せない悲しみでした。

 でも上海に迎えに行き、静かに横たわる無言の娘に対面し美しい顔を見た時、娘は苦しみではなく、幸せを抱いて天に召されていったと確信できたのです。そして私は娘を信仰へと導いて下さった神様のお働きに感謝すると共に、若いときに作り主を覚える大切さをつくづくと実感しました。

 それでも、その後何かがある度に落ちこみ悲しくなりましたが、礼拝に出席し、み言葉を聞き、聖書を読み、祈ることにより希望へと導かれていきました。

 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」コリント信徒への手紙一 10章13節

 弱い私ですが、このみ言葉に生かされてきました。どんな時も神様は共にいて下さり、励まし、慰め、力を与えて下さいます。謙虚な心を持ち、人生の終章を生きる今、すべてを神様にゆだねて歩んでいきたいと思っています。

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