キリストへの時間 2019年2月24日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 人が独りでいるのは良くない

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。

 聖書の最初の書物「創世記」の第2章には、最初に造られたアダムをご覧になった神が、「人が独りでいるのは良くない」とおっしゃったくだりが記されています。この話は、最初の女性エバの創造の記事へと発展し、結婚という制度の根拠を示す言葉として受け取られてきました。この個所はさっと読んでしまえば、それだけのことですが、じっくり読んでみると、いろいろと面白い点に気がつきます。

 まず、「人が一人でいるのは良くない」とおっしゃったのは神であるということです。当の人間はそれを感じていたのかどうか、定かではありません。少なくとも、人間の側から「人が独りでいるのは良くないので、神様、何とかしてください」と提案したわけではありません。言い換えれば、それは神がそう思い、そう望まれたということです。そこで、神が計画されたことは、「彼に合う助ける者」を造ることでした。

 ところで、神は先ほどの発言を、アダムに聞こえるように、アダムに対しておっしゃったのでしょうか。「アダムよ、アダム。お前が独りでいるのはどうも良くない。ひとつお前にぴったりな助け手を作ってやろう。」…こんな風におっしゃったのではありません。そこから先に起こる出来事の意味を、アダムが最初から分かっていたというわけではなさそうです。

 神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくって、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶかを見ておられました。しかし、アダムにとっては、その中から自分の助け手を選ばなければならないという使命感で、神の連れてこられる被造物を見ていたわけではありません。そもそも、神は適当な試作品をたくさん作って、人に好きなものを選ばせるつもりだったわけではありません。エバは数ある試作品の中で、アダムの一番のお気に入りだったという話では決してありません。

 神はもろもろの動物がアダムに合った助け手であるなどと最初から思っていませんでした。アダムもまたそれらの動物の中に特別なものを感じませんでした。もし、アダムが蛇やイノシシを見て「これぞ生涯の良き伴侶だ」などと言い出したら、神は失望されたことでしょう。いえ、アダムがそんなことを感じないことは、神ご自身がよくご存じでした。

 一連の話の流れで大切なポイントは、アダムにとってのふさわしい助け手は、神が特別な方法でお造りになったという点です。動物には動物の固有の意義を与え、それとはまったく異なる存在として、最初の人アダムに対してエバが造られたということです。そして、神がアダムのところへエバを連れて来たとき、アダムはエバの存在の意義を神から教えられることなく言い当てたということです。

 「彼に合う助ける者を造ろう」という神の御心と、アダムの思いとが、ここでは完全に一致しています。神から押し付けられて、嫌々一緒になったのではありません。神から何も告げられる前から、アダムはエバを特別な存在として受け入れたのです。
 
 しかし、「創世記」の次の章へ進むと、この理想的な関係は、早くも破壊されていきます。神に向かってアダムはエバのことを「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が」と呼びます。まるで、神が悪いものを押し付けたと言わんばかりです。現実の世界にある男女の複雑な関係を見るときに、この聖書の個所はいろいろと考えさせられます。

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