キリストへの時間 2019年10月20日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

小西二巳夫(清和学園校長)

小西二巳夫(清和学園校長)

メッセージ: 「スタンリーのお弁当箱」より



 おはようございます。清和女子中高の小西です。
 「スタンリーのお弁当箱」というインド映画があります。小学生のスタンリーはしばらく前から、空のお弁当箱を持って学校に通っています。それには事情があります。スタンリーは両親が事故で亡くなり、食堂をしているおじさんに引き取られたのです。スタンリーは学校から帰ると、遅くまで店の掃除やごみ捨てなどをさせられます。夕食は店の余りものです。夜になるとキッチンを片付けてそこに毛布を敷いて寝ます。

 このようにいうと、なんと冷たいおじさんなんだろうと思うのですが、おじさんにも事情があります。必死に働いても食べていくのが精いっぱいの一家に、子どもがもう一人増えたのです。そのために余計、生活が苦しくなります。学校も続けさせてやらなければなりません。おじさんはスタンリーのことで家族に後ろめたさを感じているわけです。そこでスタンリーをしっかり働かせることで、家族の不満を和らげたいと思ったのです。

 とてつもない大金持ちがいる一方で、その日の食べ物がなく、野垂れ死にをする人が少なくないインドの格差社会と、幼い子どもたちが労働者として働かされる社会問題がスタンリーの空のお弁当箱には詰まっているのです。

 ただこの映画は、そうしたことを批判するだけではありません。人間が尊厳をもって生きることの大切さ、そのためには一人ひとりにできることがいくつもあることを教えてくれます。スタンリーはしんどい生活をしながらも、クラスのみんなをあれこれ楽しませます。

 たとえばある朝、スタンリーは顔にあざを作って登校してきます。それは働きが悪いと、おじさんに叩かれたからです。ところがそのあざについて先生が尋ねると、街でけんかに巻き込まれて、自分が大勢の人を相手に大立ち回りをした、と笑わせます。

 昼食の時間になると、クラスのみんなはお弁当を広げて一緒に食べ始めます。しかしスタンリーは、空のお弁当箱を持って、教室を抜け出し、水道の水を飲んでがまんするのです。

 しばらくすると、みんなにも事情がわかってきます。そこでみんなが相談して始めたこと、それは自分のお弁当から食べ物をスタンリーのお弁当箱に入れることでした。みんなが少しずつ入れると、スタンリーのお弁当箱は食べ物でいっぱいになります。それによってスタンリーのおなかがいっぱいになり、みんなの心もうれしさと喜びで満たされることになりました。

 きょうの聖書(マタイ15:34-38)には男の人4000人、家族も合わせれば10,000人以上の人のおなかがいっぱいになった話が書かれています。はじめ弟子たちは、パンが7個と小さな魚が少しでは、大勢の人のおなかを一杯にすることはできません、とイエスに答えました。自分たちには何もできない、状況を変えることはできないといったのです。その弟子にイエスは、みんなで分け合って食べよう、と言われました。

 そして感謝のお祈りをして、実際に食べ始めたら、そこにいた人たちがみんな、おなかがいっぱいになったというのです。そうなった理由は、スタンリーの空のお弁当箱に、クラスのみんながしたことから想像できます。食べ物に限らず、知恵や力、お互いが持っているものを少しずつ出し合えば、人間の考える小さな理屈を超えることができる、それをきょうの聖書(マタイ15:34-38)が教えてくれます。

 イエスは小さな理屈や常識にとらわれて、自分には何もできないとばかりに何もしない、そしてあきらめることを厳しく批判されます。同時に小さな理屈を超えてやってみること、その小さな出発が、思いもかけない大きな喜びを生み出すことを自ら示されたのです。そこに私たちが、時代や厳しい状況を超えて持つことのできる大きな希望があります。私たち一人ひとりが、聖書に書かれたイエスの奇跡の一員になれるのです。

 そう考えると、一日一日過ごすことの意味と目的が、空ではなく、自分の中にいっぱい詰まっていることがわかります。



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