キリストへの時間 2019年11月3日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

坂尾連太郎(南与力町教会牧師)

坂尾連太郎(南与力町教会牧師)

メッセージ: 隣り人となって愛する



 おはようございます。南与力町教会の坂尾連太郎です。
 今朝はルカによる福音書10章25節から37節の御言葉に共に耳を傾けたいと思います。(「善きサマリア人のたとえ」)

 あなたは「永遠の命」について考えることはあるでしょうか。人は皆死にますが、その後も天の御国で永遠に生きることができるなら幸いです。

 あるとき律法学者がイエス様に尋ねました。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」(25節)イエス様は彼に「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか。」(26節)と問われました。律法学者は旧約聖書に基づき「主なる神様を愛すること、また隣人を自分のように愛すること」と答えました(27節)。イエス様は「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」(28節)とお答えになりました。

 しかし、二人の会話はここで終わらず、律法学者はさらにイエス様に尋ねました。「では、わたしの隣人とはだれですか。」(29節)。彼がこのように言ったのは「自分を正当化したかったから」です。自分が愛すべき「隣人」の範囲が限定されれば「自分は隣人を愛しています」と自分を正当化できると思ったのです。当時の律法学者たちは愛すべき「隣人」とは基本的に自分たちの同胞「ユダヤ人」のことだと理解していました。そこに異邦人、外国人は含まれません。そういう人々は敵であり、愛さなくてもよいと考えていたのです(マタイ5章43節参照)。

 しかしイエス様はそのような考えを許されません。そのためにイエス様がお語りになったのが「善きサマリア人のたとえ」です。エルサレムからエリコへの旅をしている人が強盗に襲われ、半殺しにされ、倒れていました。そこに祭司がたまたま通りかかりました。おそらくエルサレムで神殿礼拝の奉仕を終え、家に帰る途中だったのでしょう。祭司は倒れている人を見ましたが、道の反対側を通り過ぎていってしまいました。

 今度はレビ人がやってきました。レビ人とは神殿で祭司の補助をする役割にあった人です。しかし彼も、倒れている人を見ると、道の反対側を通り過ぎていってしまいました。

 次にやってきたのはサマリア人でした。サマリア人はエルサレムではなく、ゲリジム山で礼拝を守っており、ユダヤ人からは「異端」のように見なされていました。このサマリア人は倒れている人を見ると、憐れみの心で胸がいっぱいとなり、彼に近づいていきました。そして傷の手当てをし、彼を自分のろばに乗せて宿屋に連れて行き、介抱しました。さらに次の日、宿屋の主人にお金を渡して言いました。「この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。」(35節)

 イエス様は律法学者に尋ねました。「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」(36節)律法学者は答えました。「その人を助けた人、その人に憐れみを行なった人です」と。イエス様は答えました。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(37節)

 律法学者は自分を正当化するために「わたしの隣人とは誰ですか」と問いました。しかしイエス様は強盗に襲われた人の立場に立って「誰がその人の隣人になったと思うか」と問われたのです。ここには根本的な視点の違いがあります。イエス様は助ける側の視点ではなく、助けを必要としている側の視点に立って考えるように促されます。助けを必要としている人にとっては、相手が祭司やレビ人であるのか、あるいはサマリア人であるのか、ということは関係がありません。ユダヤ人からは異端として憎まれているサマリア人であっても、自分を助けてくれたこの人が「自分の隣人となった」のです。

 イエス様はこうして自分を正当化しようとしていた律法学者の思いを打ち砕かれました。自分の行いによって永遠の命を得ようとするならば、結局は自分を正当化しようとして、律法に示されている神様の御心を歪め、狭めることになってしまいます。私たちは自分が隣人を愛することにおいて欠けがあること、罪があることを認めなければなりません。しかしそのような私たちをもイエス様は愛してくださり、そのような私たちでも「永遠の命」を受け継ぐことができるように、イエス様はご自分の命をささげてくださったのです。滅びゆく私たちをイエス様が救ってくださいました。

 このイエス様を信じる者は、もはや自分を正当化することから解放されています。そしてイエス様が私たちにしてくださったように、あのサマリア人が行ったように、わたしたちも助けを必要としている人の隣人となり、愛と憐れみを行うよう招かれているのです。



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