キリストへの時間 2019年12月29日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下朋彦(平和の君教会牧師)

山下朋彦(平和の君教会牧師)

メッセージ: もう一つのクリスマス



 おはようございます。広島にあります平和の君教会の山下です。

 今年も残すところ3日となりました。こうした年の瀬を迎えますと、今年はどうだったのか、振り返ってみたくなります。ある人は、今年は記念すべき善い年だったと満点を付ける方もいれば、反対に最低の、記憶に残したくないマイナス点と付ける方もおられるでしょう。しかし神様の評価は、この私がどのようにみなそうとも、プラスであり最善なのです。

 これまでずっとクリスマスのお話をしてきました。たった一人で救い主を宿し産み育てる使命を与えられたマリアを助け支えた夫ヨセフのお話、また遠くはるばるメシヤを訪ね求めて遂にベツレヘムで救い主に出会うことを許された占星術の博士達のお話など、クリスマスならではの感動的な物語でした。しかし実は、このマタイによる福音書にはもう一つのクリスマスの出来事が記されています。それが先程お読みしましたヘロデ王によるベツレヘム幼児殺人事件なのです。

 前回、占星術の博士達からメシヤ誕生を知ったヘロデ王は、後で自分も行って拝むからと彼らを送り出しますが、いくら待っても彼らは戻ってきません。そのため大きな恐れと不安を抱いた王は、メシヤを殺すべくベツレヘムで生まれた男の子を皆殺しするように兵隊たちに命じ、実行させたのです。間一髪、天使はそのことをヨセフに告げ、マリアと幼子とは難を逃れることができました。それが、ベツレヘム幼児殺人事件と呼ばれる裏のクリスマスで、血なまぐさく不条理なお話なのです。いわばイエス様一人を助けるために、他の多くのベツレヘムの幼児が犠牲となったということです。

 このお話を私たちはどう受け止めればよいのでしょうか。ある人は、神様が奇跡を起こしてイエス様を守って下さり、他の幼子たちが殺されないようにすることはできなかったのかと。もちろんそうすることは不可能ではありません。けれどもこの時イエス様の命は守られましたが、最後には人々から見捨てられ十字架に架けられ殺されてしまうのです。なぜならイエス様が十字架にかかって死んで下さることによってのみ、私たちの罪は償われ、死に勝利する永遠の命を受けることができるようになるからです。確かにこの世の命は奪われましたが、永遠の命、即ち神様の救いは成就しました。

 この世だけを見つめるならば、私たちの人生は成功だったとか、失敗だったとか様々に評価されますが、しかしこの世とあの世の両方を見つめる時に、イエス・キリストの救いに預かって永遠の命を頂くことの幸いを認めることができます。そうしてこの私が天の御国へと確かに迎え入れられると確信するとき、この地上の歩みも本当の意味を持ち、祝福されたものになるのではないでしょうか。もはや自分のためではなく、この私を何よりも愛してくださる神様のために生きることに、真実な喜びと価値、意味を見出すことが出来ます。年の瀬を感謝をもって過ごし、新しい年を主にあって迎えたいと思います。



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