熊田なみ子のほほえみトーク 2019年10月22日(火)放送

熊田 なみ子(スタッフ)

熊田 なみ子(スタッフ)

小さな朗読会242「神への祈り」
(「キリスト教信仰の祝福」山中雄一郎著)


  

 特別の信仰を持っておられない方々の中にも、何かの機会に何者かに向かって祈った経験を持っている方は多いと思います。特に、自然と祈りの思いを持つ人が多いようです。普段は、自分の人生は、自分の足で立ち自分の手で形作っているのだと思っていても、何かの人生の危機が訪れる時、そうではないことに気づかされるのです。自分の無力を思い知らされ、自分の人生が自分の手の及ばない所で決定されるように感じるとき、私達は祈ることをするのではないでしょうか。「苦しい時の神だのみ」は、人間の自然の情なのだと思います。

 宗教改革者カルヴァンは、「常に自らの窮乏を覚えて祈るべきこと」を祈りの心得の一つとして挙げています。たとえ順境の時であっても、私たちの人生が神のあわれみの手によって支えられなければ、一瞬の内に崩壊してしまうことに変わりはないのです。そして私たちは、イエス・キリストによる神のゆるしに依り頼まなければ神のあわれみに値しない罪人なのです。キリスト者は「人生の危機」に立つ前から、自分の人生は自分の手の内にあるのではなく、神の手の内にあることを覚え、絶えず祈るのです。

 「人生の危機」に立つとき、人々は、知られざる何者かに向かってでも祈りをします。キリスト者の祈りは、祈りを聞いて下さる方をよく知っている点で、そのような祈りとは区別されます。私たちの祈る父なる神は、知りつくすことのできない無限・永遠の方ですが、それでも聖書を通して御自分についての確実な知識を与えて下さいます。ちょうど、赤ん坊が母親の人格を知りつくすことができなくても、その愛情を確実に知って安らかに信頼するように、私たちも、神さまをとらえつくすことはできなくても信頼するに足る知識を与えられるのです。

 旧約聖書の昔から、神さまは、人間が苦しみ悩むこの世の歴史の中で、具体的に御自分の恵みと力とを表してこられました。そして、新約聖書の時代には、御自分の独り子イエス・キリストを十字架につけて下さり、よみがえらせて下さることにより、私たちのためには何ものをも惜しまれない愛と、この世の闇の力を打ち破る御力とを明らかにされたのです。

 キリスト者の祈りの特徴は、このようにして知らされた、愛と力の神が自分の祈りに耳を傾けておられることに、喜びと平安を見出すのです。

 人間同士は、何の解決も与えられないと知っていても、互いに悩みを打ち明け合います。悩みを聞いてもらうこと自体が、苦しむ者にとっては大きな慰めだからです。愛と力の神が私の祈りに耳を傾けておられる。これは、それに数倍する大きな慰めです。この方は、他の誰よりも深く私に関心を持っておられます。私以上に正確に私の必要を熟知しておられます。そして、私に益することなら何事でもして下さる力と意志とを持っておられます。この方に信頼して祈りつつ生きる時、私たちは不毛の思い煩いから解放されて、日々の具体的労苦に力を尽くして生きることができるのです。

 キリスト者の祈りのもう一つの特徴は、イエス・キリストの御名によって祈る、ということです。教会に行って実際に祈りを聞かれればお分かりのように、キリスト者の祈りは、ほとんどが、「イエス・キリストの御名によって祈ります」という言葉で終わります。これは、「イエス・キリストを仲だちに立ててお祈りします」という意味です。すなわち、「罪人である私たちの罪深い祈りを、ただイエス・キリストのゆえに受け入れて下さい」という意味です。

 私たちは祈りを聞かれて当然の義人ではなく、神が最も嫌われる罪にまみれた人間なのです。その祈る祈りも神に語りかけるにふさわしい真剣さときよさに欠け、その願いの内にもわがまま勝手な罪人の言い分が混ざり込んでいるのです。それでも、常に窮乏の内にある私たちは祈らざるを得ません。そこで、私たちの罪の自覚と心からのへり下りと、救い主イエス・キリストへの心からなる信頼をこめて、「イエス・キリストの御名によって祈ります」というのです。この結びの言葉は、祈りの終わりの合図ではなく、私たちの万感の思いを託したものなのです。

 イエス・キリストはよみがえって今も生き、父なる神の右にあって私たちのためにとりなしをしておられます。私たちは誰ひとり、神さまに何ごとかを要求する権利を持っていませんが、イエス・キリストだけは、御自分の義のゆえに正当な要求として神様に願い出ることができます。このキリストにあって私たちは、神の愛を完全に確信し、心からの信頼の祈りを祈ることができるのです。


※山中雄一郎著「キリスト教信仰の祝福」小峯書店(1983年1月、現在絶版)
※月刊誌「ふくいんのなみ」1981年1〜12月号にて連載

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