キリストへの時間 2021年1月3日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

唐見敏徳(忠海教会牧師)

唐見敏徳(忠海教会牧師)

メッセージ: 不確かな年のはじめに



 「キリストへの時間」をお聞きのあなた、おはようございます。新しい年2021年を迎えて、最初のメッセージを担当します、広島県竹原市にあります忠海教会の唐見です。

 新しい年をどのようにお迎えでしょうか。今年は、あけましておめでとうございます、とふつうに新年の挨拶を交わすことに少しためらいを感じています。新型コロナウイルスの感染がいまなお続いているからです。前回、昨年の6月にこの番組でお話ししました。その時はちょうど政府の緊急事態宣言が解除され、全国の公立学校の臨時休業が明けた時でした。我が家には上から高校生、中学生、小学生の3人の子どもがいて、ようやく学校が再開されてほっとしたのを覚えています。

 しかし、昨年の暮れから感染者がこれまで以上に増加してきました。ワクチンの接種が世界のいくつかの国で始まりましたが、終息にはまだまだ時間がかかりそうな気配です。「キリストへの時間」が放送されているエリアは、東京、大阪などと比較すれば、感染者数の少ないところではあります。とはいっても、番組をお聞きのあなたの生活にも、きっと何かしらの影響はあるのではないでしょうか。

 以前の放送で何度かお話ししましたが、私は教会の牧師であるとともに、障がい者、高齢者の施設のチャプレンとしても働いています。このあたりも相対的に感染者の少ない地域で、幸いなことに感染による直接の被害はありません。けれども新型コロナウイルスの影響を肌で感じています。

 マスクの着用、手指の消毒、3密を防ぐなどの基本的対策を行うのはもちろんですが、お花見会、夏の夕涼み交流会、文化祭など、恒例のイベントが昨年は軒並み中止になりました。また外出、面会の制限が設けられ、以前のように生活することが難しくなっています。障がいを持つ方々、そしてご高齢の方々の多くは基礎疾患を持っておられ、重症化するリスクが高いので、特に感染に注意しなければなりません。しかしそれは家族に会えない、行きたい場所に行けないことを意味し、大きなストレスになります。施設の中に笑顔が少なくなったなと感じます。

 そのような時だからこそ、聖書の言葉に耳を傾けなければと思うのです。苦しい時、大変な時こそ、神の御言葉に触れ、それを思い巡らし祈ること、そのことの大切さを新しい年の始まりにお伝えしたいのです。旧約聖書の詩編145編には次の言葉があります。「主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。ものみながあなたに目を注いで待ち望むと、あなたはときに応じて食べ物をくださいます。すべて命あるものに向かって御手を開き、望みを満足させてくださいます。」(詩編145:14-16)

 このダビデの詩は、主なる神は困難な状況に陥っている人のことをちゃんと見ておられること、そしてその人を確かに守ってくださることを語ります。このダビデの言葉の背景には、神への確かな信頼があります。ダビデの生涯については旧約聖書のサムエル記が記していますけれども、実際、この詩編のように何度も倒れそうになりました。仕えていたサウル王に妬まれて殺されかけたことがあり、また息子のアブサロムのクーデターによって国を追われたこともありました。しかし、そのたびにダビデは立ち上がり、次の一歩を踏み出していきました。ダビデは苦しみの中、次の一歩を踏み出す力を与えてくれる存在としての神に、心からの感謝の賛美をささげているのです。

 自分自身の力にではなく、自分を生かしてくださる神の力に信頼して生きることの大切さ。そして神は必ずその信頼に応えてくださるお方であることの恵み。新しい年のはじめに、とりわけ先行きが不透明な中で迎える年のはじめに、心に刻みたいと思います。



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