キリストへの時間 2021年3月21日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

申成日(広島教会牧師)

申成日(広島教会牧師)

メッセージ: イエスのたとえ話3「愚かな金持ちのたとえ」



 おはようございます。広島教会で牧師をしております申(シン)です。
 ある金持ちがいました。そしてその金持ちの畑が豊作でした。金持ちは言います。「どうしよう。作物をしまっておく場所がない」と思い巡らして、「こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ』と。」
 「しかし、神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。」

 このたとえ話(ルカ12:13-20参照)の中で、神様が彼を「愚かな者」と言ったのは、彼の自己中心的な考え方や快楽ではなく、自分の命を自分で支配することができると思っているところであります。「今夜、お前の命は取り上げられる。」この言葉は、人の生命の所有者が神であることを意味しています。わたしたちは、神様からこの命を一時借りているだけなのです。

 しかし、このことも知らない金持ちがここにいるのです。この愚かな人は自分がこれから何年もずっと生き延びると思っていました。そして自分の魂に「この蓄えでしばらく幸せに暮らそう」と言っているのです。つまり、自分がいつ死ぬのかそれを自分で判断し、自分で決めつけるのです。

 主イエスはこのたとえ話の後に「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12:21)とおっしゃいました。「神の前に富む」というのは、管理者が所有者のために富むことです。わたしたちは、神様によって様々なものを預かっている管理者です。わたしたちの時間、わたしたちの家族、わたしたちの体、わたしたちの富、わたしたちを取り巻く環境、自然…すべてがわたしたちの所有ではなく、わたしたちはただ管理者であります。

 管理者が富むということは、自分のために富むというよりも、それを所有している方のために富むことです。わたしたちが命を尊重し自分と他人の命を大事にすること、わたしたちの富を蓄えること、子どもを産んで育てること、霊的な成長のために行う様々な行為、つまり礼拝、祈り、賛美など、すべてが実はその管理者である神のためであります。そして、これこそがわたしたちの最高の慰めでもあります。

 聖書は決してクリスチャンが貧しく生きることを望んでいるのではありません。むしろ、様々な形で神様の恵みをいただくことを望んでいます。財宝だけではなく、家族や才能、知識、そして人との関わりの中でも多くの尊敬を頂いて、本当にいろんな面で豊かに祝福を頂く人になってほしいです。しかし、そのような豊かさを自分のためだけではなく神様のために用いる人こそ、神様がその祝福を与えてくださった目的であり、そう生きる人こそが賢く生きる人なのです。

 わたしたちの生命の所有者が神様であることを、わたしたちは大いに喜び感謝し、またそれに相応しく、預けられたものを管理するよい管理者、賢い金持ちになりたいと思います。



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