キリストへの時間 2021年12月5日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下朋彦(平和の君教会牧師)

山下朋彦(平和の君教会牧師)

メッセージ: 暗闇に輝く光

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。広島にあります平和の君教会の山下です。
 12月は、ヨハネによる福音書のプロローグ、1章1節から18節までの部分から、4回に分けて、クリスマスの意味についてお話ししたいと思います。今日はその1回目で、一番最初の1節から5節の部分から、『暗闇に輝く光』について見ることにします。

 この冒頭の部分は、マタイによる福音書1章のイエス・キリストの系図と並んで、初めて聖書を読む人にとって戸惑う箇所の一つです。何か深遠な哲学のようにも思われ、また現実的でない不思議な事柄が記されているようでもあります。しかしこの所は、このヨハネによる福音書の主題であり、全聖書のテーマでもある「イエス・キリストとはいかなるお方なのか」が紹介されている重要な箇所です。即ち、イエス様は主なる神と共におられた方であって、この世にお下りになり、わたしたちを罪と滅びから救い出すために来られた救い主なるお方だと証言しているのです。

 日本で最初に出されたギュツラフ訳聖書では、言葉を賢い者と訳し、神を極楽とみなします。一介の漁師であった岩吉・久吉・音吉から、外国人宣教師であったギュツラフが聞き取り、苦心して翻訳した聖書でした。本当に素朴で味わい深い名訳だと私は受け取っています。皆様はいかがでしょうか。イエス・キリストというお方は、神様を示し、伝え、証言したお方だからです。目に見えない神様をわたしたちにも見えるように、分かるようにしてくださいました。 

 ある鍼灸師の方から、こんな証しを聞きました。その方は20歳の頃に東洋思想に触れ、東洋医学を志そうと資格を取るため専門学校に入りました。でもそれは、あくまでも資格を得るためで、仕事に就こうとは考えていなかったのです。けれども一人の重い筋ジストロフィーの患者さんと出会い、その方が信仰を求めて教会に通い始め、お手伝いをする中で自分も信仰を与えられ、いつ死んでもよいのに良くなられていった、それを見て鍼灸師を始められたとのことです。

 神様は、いつでも「わたしは、ここにいるよ」と呼びかけてくださっているのに、わたしたちはそれに気づこうとも見ようともしません。しかしイエス様は、御自分の十字架の死と復活をもって、神様の途方もない愛を明らかにしてくださったのです。自分なんかいなくても良いと思っているあなた、どうか聖書を通してキリストの語りかけに耳を傾けていただきたいのです。罪の暗闇の世だからこそ、キリストの救いの光は照り輝くのです。



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