聖書を開こう 2021年4月29日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  王妃に選ばれたエステル(エステル2:12-18)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 「ミスコン」とか「美人コンテスト」と呼ばれる美貌を競い合うコンテストがあります。最近ではそのようなコンテストに反対する人たちの声が、女性の側からも男性の側からも上がってきているようです。

 しかし、それにもかかわらず、美貌を競い合うコンテストは未だに姿を消しません。業界によっては、美貌が採用の規準としか思えないような事もあります。

 もっとも容姿の何をもって美しいとするかは、時代や地域によって違いますし、個人の好みもありますので、一概に「これ」ということはできないものです。同じ日本でも平安時代の美人画と江戸時代に描かれた美人画とでは全然違います。

 そういう意味で、『エステル記』の舞台となっているアケメネス朝ペルシアではどんな美が追及されていたのか興味を覚えます。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 2章12節〜18節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 12か月の美容の期間が終わると、娘たちは順番にクセルクセス王のもとに召されることになった。娘たちには6か月間ミルラ香油で、次の6か月間ほかの香料や化粧品で容姿を美しくすることが定められていた。こうして、どの娘も王のもとに召されたが、後宮から王宮に行くにあたって娘が持って行きたいと望むものは何でも与えられた。娘は夜行き、朝帰って別の後宮に連れて行かれ、側室たちの監督、宦官シャアシュガズに託された。王に望まれ、名指しで呼び出されるのでなければ、だれも再び行くことはなかった。モルデカイの伯父アビハイルの娘で、モルデカイに娘として引き取られていたエステルにも、王のもとに召される順番が回ってきたが、エステルは後宮の監督、宦官ヘガイの勧めるもの以外に、何も望まなかった。エステルを見る人は皆、彼女を美しいと思った。さて、エステルは王宮のクセルクセス王のもとに連れて行かれた。その治世の第7年の第10の月、すなわちテベトの月のことである。王はどの女にもましてエステルを愛し、エステルは娘たちの中で王の厚意と愛に最も恵まれることとなった。王は彼女の頭に王妃の冠を置き、ワシュティに代わる王妃とした。次いで、王は盛大な酒宴を催して、大臣、家臣をことごとく招いた。これが、「エステルの酒宴」である。更に、王は諸州に対し免税を布告し、王の寛大さを示すにふさわしい祝いの品を与えた。

 前回取り上げた個所には、ペルシア全国各州から王妃にふさわしい美女たちを集めた話が記されていました。いったいどれくらいの人数が集められたのか、正確な数は記されていませんが、「大勢の娘」(エステル2:8)と言われていますから、5人や6人という数ではなかったでしょう。ちなみにソロモン王には700人の王妃と300人の側室がいたと言われていますから(列王上11:3)、そこまでの大人数でないにしても、各州から1人代表を集めれば127人はいたはずです。

 集められた娘たちに課せられたのは12か月に及ぶ美容の期間でした。具体的には6か月間ミルラの香油で、次の6か月間ほかの香料や化粧品で容姿を美しくすることが定められていました。

 新共同訳聖書では「美容の期間」とか「容姿を美しくする」と訳されていますが、色々な翻訳を読み比べてみると、「清めの期間」とか「清める」という翻訳をしている聖書も見受けられます。王のために身を清めるという意味だとすると、美容とはずいぶん違うイメージになります。

 ここで使われているヘブライ語は、聖書の中では『エステル記』にしか出てこない単語なので、どちらの翻訳が正しいのかは決めかねます。ただ、現代語訳聖書のほとんどは「香油を塗ってさする」「オイルマッサージをする」の意味に理解し、「美容」や「化粧」の意味で翻訳しています。

 さて、定められた美容の期間が終わると、1人ずつ王の前に召しだされて、王宮で一夜を過ごし、朝には別の後宮に連れていかれました。王に面会する際には、持っていきたいと思うものは何でも与えられたとありますから、好きな宝石や金の装飾品で身を飾ることもできました。

 一見、華やかな生活のように見えますが、彼女たちを待ち受けていた生活は、それほど幸せなものではありませんでした。一度は呼ばれはしますが、王の寵愛がなければ二度と呼ばれることはなく、しかも、後宮で窮屈な暮らしが待っているだけです。王の所有物ですから他人と結婚する自由もありません。お妃候補者選びという華やかな側面にだけ目を奪われますが、候補者として選ばれたことが、彼女たちの幸せにつながっていったとは必ずしも言えません。

 エステルにも順番が回って来ます。エステルは後宮の監督、宦官ヘガイの勧めるものだけを持って王宮に向かいます。控え目な女性と理解すべきか、主体性のない女性と理解すべきか、はたまた置かれている立場をよくわきまえて、賢く行動する女性と理解すべきか、いずれにしても、エステルの容姿もさることながら、そうしたエステルの態度も含めて王のお気に召すところとなったということでしょう。「王の厚意と愛にもっとも恵まれた」と記される通りです。

 こうして、とうとうエステルは王妃の座にまで上り詰めます。クセルクセス王にとっては、ギリシア遠征で負った痛手から気持ちを取り戻す最高の機会でした。「エステルの酒宴」と誰がそう呼んだのかはわかりませんが、王が主催する宴会をエステルの名で呼んだのが、王自身であったとすれば、どれほどクセルクセス王の心がエステルを迎えることで満たされたかをうかがい知ることができます。

 そればかりではありません。王は諸州に対して免税を布告し、祝いの品を与えます。それは王にとってエステルの存在がどれほどのものであったのかを物語っています。

 さて、これらのことが将来何を意味するのことになるのか、このときエステルにも、また長年エステルを娘のように育ててきたモルデカイにも、皆目見当がつかなかったはずです。ただ、このことが手放しで喜べるほど単純なことではなかったということは、エステルにもモルデカイにも理解できたことでしょう。

 というのも、エステルは自分がユダヤ人であることをまだ誰にも明かしてはいませんでした。もし、そのことが王に知れたとき、ユダヤ民族にとってそれがチャンスとなる可能性もある反面、かつてのワシュティのように王の機嫌を一度損ねてしまえば、その影響はユダヤ人全体に及ぶ危険性もあります。そういう意味で、エステルは王妃として選ばれたことを手放しで喜べなかったはずです。まだ若い娘にすぎないエステルには荷が重すぎる出来事だったといえます。しかし、そのことがエステルの信仰を育てたともいえるでしょう。

 『エステル記』のハッピーな結末を知っている私たちは、途上で経験するエステルの当惑した気持ちにまで思いが至りません。人はそれぞれ置かれる環境は異なりますが、その中で起こる様々な心の葛藤や悩みを通してこそ養われる信仰があります。そのことを想像しながら『エステル記』を読むときに、これが遠い世界の出来事ではなく、身近な信仰者の書として味わうことができるようになるのです。

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