聖書を開こう 2021年8月12日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  プリムの祭りの制定(エステル9:20-32)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 お祭りやお祝い事というのは、どこの国や民族にもあります。そしてそれらの行事は、多くの場合何らかの宗教的な意味付けがなされています。もっとも、国の独立記念日や建国記念日などは、国によっては必ずしも宗教的な意味合いがあるとは限りません。

 きょう取り上げる個所には、ユダヤ人の祭りの一つであるプリムの祭りの制定について取り上げられています。ユダヤ人の祭りといえば、律法の書に定められた、過越祭や七週の祭り、そして仮庵の祭りは、三大祝祭として知られています(申命記16章)。それらの祭りが主によって命じられた祭りであるのに対して、プリムの祭りの制定に関しては、主がそれを命じられた、というくだりがどこにも記されていません。そういう意味では、読む側が、背後で働いてくださっている神を見出し、読み進める必要があります。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記 9章20節〜32節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 モルデカイはこれらの出来事を書き記し、クセルクセス王のすべての州にいる全ユダヤ人に、近くにいる者にも遠くにいる者にも文書を送り、毎年アダルの月の14日と15日を祝うように定めた。ユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日として、悩みが喜びに、嘆きが祭りに変わった月として、この月の両日を宴会と祝祭の日とし、贈り物を交換し、貧しい人に施しをすることとした。ユダヤ人は既に実行し始めていたことでもあり、またモルデカイが書き送ってきたこのことを受け入れた。すなわち、「全ユダヤ人の敵アガグ人ハメダタの子ハマンはユダヤ人絶滅をたくらみ、プルと呼ばれるくじを投げ、ユダヤ人を滅ぼし去ろうとした。ところが、このことが王に知らされると、王は文書をもって、ハマンがユダヤ人に対してたくらんだ悪いたくらみはハマン自身の頭上にふりかかり、彼は息子らと共に木につるされるよう命じられた。それゆえ、この両日はプルにちなんで、プリムと呼ばれる。」それゆえ、その書簡の全文に従って、またこの件に関して彼らの見たこと、彼らに起こったことに基づいて、ユダヤ人は自分たちも、その子孫も、また自分たちに同調するすべての人も同様に毎年この両日を記載されているとおり、またその日付のとおりに、怠りなく祝うことを制定し、ならわしとした。こうして、この両日はどの世代にも、どの部族でも、どの州でも、どの町でも記念され、祝われてきた。このプリムの祭りは、ユダヤ人の中から失せてはならないものであり、その記念は子孫も決して絶やしてはならないものである。さて、王妃となったアビハイルの娘エステルは、ユダヤ人モルデカイと共にプリムに関するこの第二の書簡をすべての権限をもってしたため、確認した。クセルクセスの王国127州にいるすべてのユダヤ人に、平和と真実の言葉をもって文書が送られ、こうしてユダヤ人モルデカイが王妃エステルと共に定めたとおり、また彼らが自分たちとその子孫のために断食と嘆きに関して定めたとおり、プリムの祭りの日付が定められた。エステルの言葉によってプリムに関する事項は定められ、文書に記録された。

 きょう取り上げた個所には、プリムの祭りの制定について記されていますが、前回取り上げた個所から続けて読むと、祭り自体はモルデカイやエステルが人為的に定めたものではなく、勝利を治めた民の中から自然発生的に生まれたといった方がよいようです。自然発生的という言葉をもう少し信仰的な言葉で言い換えれば、神は人々の心に勝利を神に感謝しする思いを与え、この喜びを互いに分かち合う思いを与えられたということです。

 少し遡って読むと、9章17節には「14日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした」という記述が出てきます。その次の18節には「スサのユダヤ人は同月の13日と14日に集合し、15日には安らぎを得て、この日を祝宴と喜びの日とした」と記されています。ここで、祝いの日が1日ずれていますが、それは地方の町とスサとでは、勝利の日が1日ずれていたからです。つまり、スサでは敵対する勢力の力が強かったため、勝利を勝ち取るまでに2日を要したからです。ですから、続く19節では地方の現状を改めてこう記しています。

 「こういうわけで、地方の町に散在して住む離散のユダヤ人は、アダルの月の14日を祝いの日と定め、宴会を開いてその日を楽しみ、贈り物を交換する。」

 これらの先行する出来事を踏まえて、きょうの個所では、ペルシア帝国内のすべての州に散在するユダヤ人にモルデカイが文書を書き送ります。それは、何か新しいことを書き記しているというよりは、現に先行して行われていることを追認し、出来事の由来を記憶に留めるために書かれた文書でした。書き送った文書の中で、唯一新しいことといえば、人々が先行して行ってきたお祝いに名称をつけたということです。

 つまり、事の発端は、敵対者ハマンが、くじであるプルを引いて、ユダヤ人絶滅させる行動の日取りを決めたことにありました。このくじの名前である「プル」にちなんで祭りの名前を「プリム」と定めました。

 それでは、モルデカイが定めた詳細を見ていきたいと思います。

 まず祭りの日程はユダヤ人が敵をなくして安らぎを得た日を基準にアダルの月の14日と15日と定め、この両日を宴会と祝祭の日としました。これは先ほども説明した通り、都スサと地方の町での勝利の日の時間差によるものでした。

 具体的な祭りの期間の過ごし方は、贈り物を交換し、貧しい人に施しを行うことでした。勝利を記念するその方法が、贈り物の交換と貧しい人への施し、という点は特に着目すべき点です。

 贈り物の交換は、喜びの分かち合いを象徴しています。一人でこの喜びを味わうのではなく、大勢の人たちと喜びを共有し、分かち合う日です。「宴会と祝祭の日」と言われているように、宴会は一人でするものではありません。食べ物を共有し分かち合うことで一層喜びが広がります。

 このプリムの祭りには貧しい人たちへの配慮も示されています。お祭り気分で人々が浮かれている中で、貧しい人々が取り残されてしまうことがないように、貧しい人たちへの施しが勧められています。

 ちなみにこのお祭りは今でもユダヤ人の間では守られていて、現代に至るまで長い歴史の中で様々な要素が加わっていったようです。例えば、「ハマンの耳」と呼ばれる三角形のお菓子を食べたり、思い思いの仮装でパーティを楽しんだりします。宗教規定には厳格なユダヤ人のお祭りにしては、楽しみの要素がとても強い祭りとなっています。

 プリムの祭りは、民族の危機的な状況からの解放という意味では、過越の祭りに匹敵する内容だと思われます。このお祭りが、すんなりとユダヤ人たちの生活の中に受け入れられたのも、過越しの祭りとの重なりを見ていたからではないかと私は考えます。かつてエジプトの地から神の偉大な御手をもって解放された経験を持つユダヤ人たちにとって、その同じ神が今も生きて自分たちの民族の救いのために働いてくださっていることを、このプリムの祭りは証ししています。

 「神」の「か」の字もない『エステル記』ですが、出エジプトの出来事にも勝るとも劣らない神の力を、信仰をもってこの書物を読む人々は感じ取って来ました。そうであればこそ、様々な議論を耐え抜いて、正典の中に不動の地位を占めているのではないでしょうか。

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