聖書を開こう 2021年9月30日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  協力者フィレモン(フィレモン1-3)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 きょうから新しい個所を学びます。パウロが書いた手紙の中ではもっとも短い手紙、フィレモンへの手紙を取り上げます。

 この手紙は、一人の逃亡した奴隷が、主人のもとへ無事に戻れるよう執り成すために書かれた手紙です。ローマ社会では、奴隷は主人の所有物として扱われていました。ですから、奴隷をどのように扱うかも、主人の意のままでした。奴隷の主人はその奴隷の命さえも奪うことが許されていたほどです。もちろん、すべての主人が横暴な人であったとは限りません。

 一口で奴隷といっても、ローマ社会では様々な奴隷が存在しました。大規模農場で働かされる奴隷には、確かに過重な労働を課せられた奴隷たちもいたでしょう。

 しかし、ローマ社会には医学や会計や家庭教師を任された能力的に優秀な奴隷もいました。ギリシアを制圧したころのローマ社会は、明らかに制圧されたギリシアの方が文化的に高いということもありえました。捕虜となった優秀な人材が、奴隷としてこのような分野で活躍することが普通にありました。

 この手紙の中に出てくる奴隷は、そのどちらの奴隷でもなく、おそらくは、家庭の中にいた、いわゆる「家内奴隷」と呼ばれる奴隷であったと思われます。様々な雑務をさせられましたが、大規模農場で酷使される奴隷よりは、待遇がよかったと言われています。また、解放奴隷となる機会もあったといわれていますから、一生奴隷の身分であったというわけではなかったようです。もっとも、その機会が与えられるのは、主人次第でしたから自由に解放の機会が与えられたというわけではありません。

 奴隷と主人の関係は、初代キリスト教会の中にも入ってきました。入ってきたというよりは、キリスト教の方が、そういう家内奴隷のいる家庭に浸透してきた、といった方が正確かもしれません。パウロの書簡の中には、奴隷の主人に対する勧めや、奴隷に対する勧めの言葉が出てきます。これらの言葉は、奴隷制度を肯定しているように受け取られてしまいがちです。しかし、そのように理解したのでは、パウロの執筆の意図を読み誤っているように思います。

 キリスト教が広まっていくにつれて、奴隷を所有する家の主人がクリスチャンになったり、逆に奴隷のほうが先にクリスチャンになったりするケースがだんだんと出てきたことは想像に難くありません。そのような状況の中で、どのように一人の信仰者として人間関係を平和的に過ごすのか、これがパウロの関心でした。こうした努力の延長線上にこそ、真の意味での奴隷解放運動が成り立つのだと思います。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 フィレモンへの手紙 1節〜7節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
 わたしは、祈りの度に、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるようにと祈っています。兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな喜びと慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたのお陰で元気づけられたからです。

 まずは、この手紙の差出人から見ていきたいと思います。パウロとテモテが共同の差出人として名を連ねています。しかし手紙の本文では、「わたし」と自分を呼ぶ一人の人物によってこの手紙は書かれています。それはテモテではなく、パウロであったことは間違いありません。

 自分を囚人パウロと呼んでいることからも明らかな通り、この手紙が書かれたとき、パウロは獄中にいました。そのことは9節の中にも繰り返されます。そしてこの獄中にいたパウロこそ、この手紙の中で受取人に対して「お願いしている」本人です。

 そうであるとすると、テモテの名前を添えたのはなぜでしょう。おそらく、パウロはこの手紙を書くにあたって、これを個人的なお願いのレベルで受け取ってほしくないという思いがあったのだと思います。

 受取人の名前も一人ではありません。筆頭にフィレモンの名前があがっていますが、他にアフィアやアルキポの名前があがっています。そればかりか、「あなたの家にある教会へ」とありますから、明らかに個人にあてた手紙ではなく、教会を意識した手紙です。

 筆頭に挙げられたフィレモンは「協力者」と呼ばれています。パウロが書いた手紙の中に「協力者」と呼ばれる人物は数名登場しますが、もともとは「一緒に働く者」というのがその意味です。そういう意味でテモテはしばしばパウロの「協力者」と紹介されています(ロマ16:21、1テサロニケ3:2)。その他によく名前が知られている人物では、使徒言行録に登場するアキラとプリスキラ夫妻は「協力者」と呼ばれています(ローマ16:3、使徒18:1)。彼らはパウロの世話をするという形でパウロの伝道に協力した人たちでした(使徒18:3)。

 フィレモンは自分の家を開放して家の教会としていた人物ですから、そういう意味でパウロの協力者と呼ばれるにふさわしい人物です。この手紙のおしまいにも書いていますが、パウロはフィレモンのもとを訪ねるときに「宿泊の用意」を頼んでいます。そうした援助もフィレモンは喜んでしていたのでしょう。

 フィレモンの名前が筆頭に上がっているのは、彼が自分の家を開放して教会としていたからというばかりではありません。この手紙の主題と深くかかわる人物だからです。読み進めていくうちに明らかなとおり、フィレモンのところから一人の奴隷が逃げ出し、今、パウロのものとにたどり着いたということです。この手紙はまさにその逃亡した奴隷が再びフィレモンの家で働くことができるように執り成すために書かれました。

 フィレモンと逃亡した奴隷の間に、いったいどんないきさつがあったのか、この手紙からはまったく知ることはできません。少なくともパウロが知っているフィレモンの人柄からは、奴隷につらく当たって逃げ出させるようなことをする人ではありません。むしろ、信徒たちの間では愛の人として知られていたようです。家を開放して教会とする人ですから、寛大な人柄であったことは容易に想像できます。パウロ自身、フィレモンの愛から、「大きな喜びと慰めを得た」と記しています。それはパウロ一人でなく、信徒たちがフィレモンによって心に元気をいただいたからです。

 そういう人柄のフィレモンが、奴隷を追い出すような仕打ちをしたとは思えません。もちろん、フィレモンも人間ですから、奴隷につらく当たったということがまったくなかったとはいいきれないでしょう。

 ただパウロにとって関心があるのは、原因がどうであれ、フィレモンと逃亡したこの奴隷が、再びもとの関係に戻れるようになることでした。いえ、そればかりではありません。後で明らかになりますが、その逃亡した奴隷は、パウロのもとで信仰を得てクリスチャンとなりました。主イエス・キリストに結ばれた一人の兄弟として、この問題に向き合うことがフィレモンには求められているのです。

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