聖書を開こう 2021年10月21日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  神の子イエス(ヘブライ1:1-4)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 きょうから新しい聖書の個所を取り上げて学びたいと思います。今回取り上げる聖書の個所は、『ヘブライ人への手紙』です。「手紙」とは呼ばれていますが、手紙の形式には欠かせない差出人も宛先人も記されていません。しかし、この書の末尾には挨拶の言葉が述べられていて、手紙らしい終わり方をしています。

 内容は手紙というよりは、神学的な論文のように見えます。しかし、ところどころに、読者に対する励ましや勧めの言葉が見受けられますから、神学論文というよりは、牧会的な意図をもって書かれた文書です。

 また、書かれている内容の多くは、旧約聖書の知識を前提としています。特にキリストの十字架の死を旧約聖書の神殿で行われていた祭儀と比較しながら、その意味を丁寧に解き明かしています。そうしたこともあって、いつしかこの書は、『ヘブライ人への手紙』と呼ばれるようになりました。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は新約聖書 ヘブライ人への手紙 1章1節〜4節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。

 この手紙の書き出しは、先ほども言いましたが、差出人も宛先人も記されないまま、いきなり御子イエス・キリストに関する重要なテーマが展開されます。もっとも、差出人や宛先人を記さないまま始まる手紙は、『ヘブライ人への手紙』だけではありません。『ヨハネの手紙一』も同様に差出人も宛先人も記されないまま、「命のことばである御子イエス・キリストとの交わり」という重要なテーマが述べられています。

 『ヘブライ人への手紙』の場合、冒頭で展開されるのは、御子イエス・キリストの、他に比類のない卓越した地位です。特にきょう取り上げた個所には、御子イエスによる啓示が最後的・究極的なものであることがイの一番に述べられます。

 「神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。」

 神が救いの恵みとご計画を語られることは、もちろん旧約時代の時からありました。預言者たちを通して、さまざまな 仕方で、神はその民に救いのご計画を明らかにしてこられました。そういう意味では、旧約の時代と新約の時代は連続した、同じ神による救いの啓示が流れています。『ヘブライ人への手紙』の著者は、この二つの時代を決して対立したものとは理解していません。また、この二つの間に連続性がないとは、少しも考えていません。むしろ、旧約時代に与えられた啓示の意味を、新約時代の光に照らして読み解くことで、両者の密接な関係を明らかにしています。

 このあと、学びを進めていくうちに明らかになることですが、古い時代の契約と新しい時代の契約は、ただ密接にかかわっているというばかりではなく、古い時代の救いの契約は、新しい時代の救いの契約において完全に高められ成就しているということが述べられます。

 この手紙の冒頭部分の言葉に戻りますが、かつては預言者の口を通し、多くのかたち、多くの仕方で語ってこられた神が、今や御子イエス・キリストによってお語りになったという、時代に対する特別な意識が明らかにされます。この手紙の著者は、御子を通して神がお語りになるこの時代を「この終わりの時代」と表現しています。

 言い換えるなら、御子イエス・キリストを通して語られる神の啓示は今や最終段階に達しているということです。御子イエス・キリストを通して語られる神の言葉は、かつての預言者の一人が語る言葉とは、明らかにその重要度が異なります。御子イエス・キリストにおいて神の啓示は頂点を迎えているからです。

 そのことは、イエス・キリストを通して示された啓示が、救いにとって必要十分であることをも意味しています。これ以上先に語られる新たな啓示を待つ必要がないほどに、救いに必要なすべてのことはキリストにおいて十分に明らかにされているのです。

 では、その啓示をもたらした「御子」とはどんなお方でしょう。1章2節の後半から、「御子」とはどんなお方であるのかが、書き記されます。

 「神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。」

 ここでは、父なる神に対する御子イエス・キリストとの関係を、「相続者」という言葉で表現します。このことは、御子の救いにあずかって、御子イエス・キリストと結びあわされた者たちが、共同の相続人となることを暗示しています。

 さらに続けて、この御子と相続すべき万物との関係が述べられます。それは、この世界が御子によって創造されたという事実です。

 御子イエス・キリストと万物の創造については、決して『ヘブライ人への手紙』独特の教えではありません。新約聖書の中でしばしば述べられています。たとえば、コロサイの信徒への手紙 1章16節にはこう記されています。

 「つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。」

 あるいは、ヨハネによる福音書の冒頭にも、「万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」(ヨハネ1:3)と述べられています。この場合の「言」とは、イエス・キリストをさす言葉です。

 ここで明らかにされる御子とこの世界との関係性は、この御子によって明らかにされる啓示が、今までの時代に示されてきた啓示の方法とはどれほど異なるものであるのかを示しています。

 さらに、この御子についての言葉が続きます。

 「御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられます」

 御子イエス・キリストは「神の本質の完全な現れ」なのですから、このお方をおいてほかに、神を現すことのできるお方はいません。イエス・キリストご自身のことばを使えば、「わたしを見た者は、父を見たのだ」というのと同じです(ヨハネ14:9)。このことはまた、ヨハネによる福音書の冒頭部分でも印象深く語られています。

 「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(ヨハネ1:18)。

 これは、イエス・キリストと出会い、キリストを通して父なる神を再発見した人々の共通した認識です。この確信こそが、この手紙の著者を動かし、困難の中にいる信徒たちを励ます原動力なのです。

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