あさのことば 2022年4月 6日(水)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

中山仰(花見川キリスト教会牧師)

中山仰(花見川キリスト教会牧師)

メッセージ: オリジナルの迫力



 おはようございます。花見川キリスト教会の牧師、中山仰です。
 大岡越前守忠相公の大岡政談をご存知でしょうか。その中に、二人の女が一人の娘の親であると主張し、争う話があります。大岡越前守は、子どもを両方から引っ張り、引っ張り切った女に権利を与える、と命じます。両側から引っ張られた子どもは、当然痛くて泣き叫びます。その時、実の親は、わが子可愛さに最後は手を離します。大岡越前守は、離したほうが本当の親である、と判決をくだします。

 これは、旧約聖書の列王記上3章にある、ソロモン王の裁きの写しです。列王記では、その子どもの親権について訴えがなされたとき、王は「その子どもを真っ二つに切り離し、それぞれに半分ずつ分け与えよ」という厳しいものでした。当然死んでしまいますから、本物の親は、子どもの命の延命を願って手を引くことになります。聖書の方が、はるかに迫力があると思いませんか。

 また、神社やお寺に行くと、入り口に、「手水」というお参りをするための清めの水があるのをご存でしょうか。汚れを洗い清めるためのものです。旧約時代にも、同じような行いの定めがありました。手や足の洗いをしないときには、死を招くという厳しさがありました。

 私は、聖書の定めの方が、毅然とした迫力あるものとなっていると思っています。聖書の中に、多くの知恵が散りばめられています。あなたも教会に来て、聖書を学ばれませんか。

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