キリストへの時間 2022年1月30日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

申成日(広島教会牧師)

申成日(広島教会牧師)

メッセージ: イエスのたとえ話9「10人のおとめのたとえ」

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。広島教会の申成日(シン ソンイル)です。1週間お元気でしたか。早くも2022年も1か月が過ぎようとしています。聖書に記されているイエスのたとえ話も、今日で最後になります。今日は「10人のおとめのたとえ話」をいたします(マタイ25:1-13参照)。

10人のおとめがそれぞれともし火を持って花婿が来ることを待っていました。このおとめたちは、当時の、ユダヤ人の結婚風習の中に出て来るブライドメイドです。ユダヤ人たちは婚約してから結婚するまで1、2年間の間を置きました。時が来ると花婿が花嫁を迎えに来ます。はるばる迎えに来た花婿は花嫁を連れて自分の家に行きます。婚礼は主に花婿の家で行われます。この時花嫁には10人のブライドメイドが付きます。今日のたとえ話で出て来る10人のおとめは、そのようなブライドメイドです。

 たとえ話の中では、10人のおとめの中で、5人は賢いおとめ、残りの5人は愚かなおとめとなっています。賢いおとめたちは、花婿が来るのが遅くなるかもしれないと思い、十分なともし火の油を用意した人々で、愚かなおとめたちは油の用意を十分にしていません。やはり花婿はなかなか来ることがなく、夜遅くなったので皆眠り込んでしまいました。

 その真夜中のことです。「花婿だ。迎えに出なさい」という知らせの叫び声がしました。おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えましたが、愚かなおとめたちのともし火には油がありませんでした。何とか分けてもらいたいですが、分けるほどの量はありませんので、急いで店に買いに行きました。しかし、彼女たちが油を買いに行っている間に花婿は到着して賢い5人のおとめたちと共に婚宴の席に入りました。
 
 5人の愚かなおとめたちは油を買い取って急いで帰ってきましたが、戸は固く閉めています。「ご主人様、ご主人様、開けてください」と叫びましたが、家の主人は「はっきり言っておく。わたしはおまえたちのことを知らない」と答えました。
 
 たとえ話はここで終わりです。これは何を教えるためのたとえ話だと思いますか?実は、このたとえ話の初めに、イエスは「天の国は次にたとえられる」と言いながら、このたとえ話を始められました。つまり、これは神の国、天国のたとえ話です。また、たとえ話の後に一言、「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」とおしゃったのです。

 「その日、その時」というのは、神の国が訪れる、天国が開かれる日のことです。キリスト教において天国というのは、今の我々が生きている世界から完全に切り離されて、何か宇宙の別の場所にあるような天国概念ではありません。天国は、この世において完成されるところです。また、その完成は、今は天に昇られたイエス・キリストが再び来られる日に、神様によって完成されます。しかし、その時がいつになるのかは誰にも知らされていません。

 だから、聖書の他の個所では「神の国は盗人のように来る」(1テサロニケ5:2、ヨハネ3:3; 16:15参照)とも言っています。いつ、その日は来るのか分からないので、いつも信仰の備えをしておかなければなりません。「明日やろう」、「今度やろう」というのではなく、いつその日が来るか分からないので、今日、今イエスが来られても迎えることができるように備えておかなければなりません。それこそが、賢いおとめたちのような人なのです。

 今日は日曜日、教会において礼拝がささげられる日です。教会に訪ねて信仰の備えをしておいてはいかがでしょうか。



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