キリストへの時間 2022年2月27日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

小澤寿輔(高知教会牧師)

小澤寿輔(高知教会牧師)

メッセージ: 岩を土台とした家

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。高知市上町4丁目にあります日本キリスト改革派高知教会の小澤寿輔です。
 昔、正木茂という牧師先生の書かれた「この日この朝」という本を読んでいましたら、次のようなお話がありました。ある一人の金持ちが、毎日何もしないで贅沢な日々を過ごしていました。そうしているうちに、彼の体はだんだんと衰弱し、食欲も減り、心の晴れない日が続くようになっていきました。近くの医者に相談すると、「別に悪いところはない。けれども、あなたは少し生活の仕方を変えて、仕事をしたり、運動をしたりするようにしなければならない」と忠告されました。それでもなお、ぶらぶらと遊んで暮らすことを金持ちの特権のように捉えていた彼は、相変わらず贅沢な生活を続けていました。彼の健康状態はとても悪くなり、いよいよ生活が不自由になってきました。

 そんな頃、400キロ離れた町にとても良い医者がいると聞いて、彼は、手紙を送って「治療して欲しい」と頼みました。すると、その医者から次のような返事が届きました。「あなたのお腹の中に恐ろしい虫が発生しているから、すぐに来て治療を受けなさい。ただし、乗り物に乗ることは病気に良くないので、必ず歩いて来なければなりません。食事については、十分節制をするように。」金持ちは、医者の言葉に従って家を出ました。毎日12キロから15キロ歩いて行くうちに、いつの間にか気分は爽快になり、食欲も増してきて、400キロ離れた医者のもとに着いたときには、健康は完全に回復していました。医者は彼を見て、「あなたのお腹の虫は、旅行中の適度の運動と食事の節制のため、すっかり死滅してしまった」と言いました。この金持ちは、医者の言葉の通りに、その後も運動と節制に注意を怠らなかったので、長生きしたそうです。

 さて、この金持ちは、なぜ健康を回復することができたのでしょうか。医者に言われたことを聞いて行ったからです。実はこれとよく似たことを教えているたとえ話が、聖書に記されています。マタイによる福音書7章24節から27節の御言葉です。このイエス・キリストのたとえ話の中に、二つの家が登場します。雨が降り、川があふれ、風が吹いて、家を襲いました。すると、一つの家は倒れませんでしたが、もう一つの家は倒れてしまい、しかもそれは、ひどい倒れ方でした。完全に倒壊したようです。 さて、倒れなかった家と、完全に倒れてしまった家とでは、何が違ったのでしょうか。そうです、「岩の上に建てたかどうか」が違いました。岩の上に建てた家は、土台がとても堅くて頑丈だったので、雨にも負けず、風にも負けず、洪水にも負けず、ずっと立っていることができました。ところが、砂の上に建てた家は、土台が無かったので倒れてしまいました。

 このたとえ話に出て来る「岩の土台」とは、何を意味しているのでしょう。それは、まぎれもなく「イエス・キリストの言葉」であり「イエス・キリストご自身」です。イエス・キリストは言われました。24節「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」

 愛する皆さん、ここで大切なのは、イエス・キリストの教えを「聞いて」それを「行う」ことであると、聖書は教えています。皆さんは、これまでに、「キリストへの時間」で何度となく、聖書に記されているイエス・キリストの言葉を聞いてこられたことと思います。それらの言葉を、聞いて行うのか、あるいは聞くだけで行わないのか、たったその違いによって、人生が決定的に違ってくるのだと言うのです。岩の上に自分の家を建てる人、つまり、イエス・キリストを自分の魂の医者として信頼し、イエス・キリストの教えをよく「聞いて」、それを生活の中で「行う」人は、この世の人生でどのような苦難を強いられようとも、たとえ死に直面しようとも、決して倒れることはなく、慌てることもなく、心は平安でいられる、ということになります。

 ところが、イエス・キリスト以外のものに頼る人が、世の中に大勢います。お金に頼ったり、物に頼ったり、他人に頼ったり、自分に頼ったり、名誉に頼ったり、お守りや占いに頼ったりします。この世のものは、一時的には、私たちを喜ばせてくれるかもしれません。一時的には、頼れるかもしれません。けれども、この世のものは、すべて砂のようなものなのです。私たちが本当に苦しいとき、それらのものは私たちを支えてはくれません。ましてや臨終の床にあるとき、全く無力です。この世のものに頼って生きていても、まことの平安を得ることはできません。

 冒頭でお話しした金持ちは、自分の体の不調を自覚し、400キロ離れた町の医者に信頼して、言われる通りに「聞いて行う」ことで、健康を回復し、長生きできました。私たちも、イエス・キリストを自分の魂の医者として信頼し、その教えを「聞いて行う」ならば、心に平安をいただいて、永遠に安心して生きることができるようになります。



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