キリストへの時間 2022年3月6日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: あなたを招きます

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 2020年より流行した新型コロナウイルスは、あっという間に全世界に広がりました。ウイルスが変異しながら、波のように繰り返し押し寄せてくるため、まだまだ油断禁物の感がします。この1〜2年で、私達の生活は、大きく変化しました。常にマスクをし、至るところに消毒液がおかれ、会議はリモートになり、かつてのような多人数での会食や宴会は、憚られるようになりました。

 私の実家は四国の地方の田舎で、私が子どもの頃は、新築祝い・婚礼といった冠婚葬祭は、ホテルや会館ではなく自宅で「宴会」を催していました。叔父や年の離れた従兄弟が結婚した時に、自宅で婚礼を催して大勢の親戚や友人、知人が招かれていたことを覚えています。その日は、早朝から料理人が数人の弟子と一緒に軽トラックに調理器具や高級な食材を満載してやって来ました。かまどや流しは、きれいに片付けられ、すぐさま高級料亭の厨房に様変わりしました。やがて立ち上る湯気とともに出汁の匂いがすると、空腹が襲い、子ども心に、料理人が、手間暇かけて作る料理は、どの様なものが出来上がるのか、と想像したりしました。

 主イエス・キリストは、神の国を盛大な宴会にたとえました(以下ルカ14:15-24参照)。ある人が、盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招きました。この宴会は、婚礼の宴でしょう。いつの時代にもお慶びの宴に招かれることは、大変光栄なことです。当時の宴会の招待は、二度なされました。一回目は、宴会の期日を予告して出席者の都合を伺っておきます。それから招待者は、出席予定者の顔を思い浮かべながら周到な準備をします。二回目は、当日準備万端整ったところで、改めて出席予定者を招くのです。

 この主人も、当日に僕を送って、招待者を改めて招待しました。ところが、最初の招待の時に「伺います」と答えた人達が、ある人は「畑を買ったので」とか、他の人は「牛を買ったので」「結婚したばかりなので」とか、様々な理由を挙げて断り始めたのです。僕から、それを聞いた主人は、大変怒りました。そして主人は、僕に意外なことを命じました。それは、町の広場や路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人達を招くようにということでした。この人たちは、自分が晴れの宴会に招かれることなど、全く予想もしていなかったことでしょう。

 たとえ話の主人は神です。宴会は神の国の食卓です。この宴会に招くために遣わされた僕は、イエス・キリストです。神は、イエス・キリストを通して、私たちを招いて下さっていますが、私たちの都合で断るのです。イエス・キリストは、全ての人の傍らに立って「神の国の宴会に来てください。神からの招待状があなたにも届きましたよ」と招いておられます。神の招きは、救いへの招き、喜びへの招きです。神の愛と憐れみによって、全ての罪が赦され、平安と希望が与えられる宴会への招きなのです。

 しかし、多くの人が、特に人生が順風満帆であり、自力で全てのことが思い通りになると思っている人が、招待を断るのです。あるいは、神の事を考えるのは、その招きを受けようと考えるのは、人生に躓くか、ある程度人生にゆとりが出来てからにしようと後回しにします。そうして、神の招きを断って、自分自身の力で人生の重荷やしがらみを背負って、人生の荒波を渡って生きていこうとします。しかし、それでは、やがて心身共に疲れ果ててしまいます。

 イエスは「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と招いておられます。全て重荷を負う者は、皆、平等に神の国の宴会に招かれています。神の前では誰一人として、神の国の宴会に招かれる資格のある者はいません。全く資格の無い者が、神の愛と「あなたを招きたい」という熱心によって今、宴会の席に着くことが出来るのです。

 あなたは神の国が、どんなに素晴らしく、この地上の何物にも代えることのできないものであること、さらに、神にとってあなたは大切な招待者の一人であることを是非、覚えて下さい。今すぐ、神の招きを断らないで、教会の礼拝にご出席ください。



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