キリストへの時間 2022年4月17日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下正雄(ラジオ牧師)

山下正雄(ラジオ牧師)

メッセージ: 復活のキリスト

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
 今日は、キリスト教会にとって特別な記念日です。それは、主イエス・キリストが死に打ち勝って、墓の中からよみがえられたことを記念する日だからです。

 考えてもみれば、キリスト教というのはおかしな宗教です。十字架につけられた男を救い主だと言い広め、十字架で死んだはずのキリストがよみがえった、と主張するのですから、誰だって、そんなことを主張してやまない宗教を、まともな宗教だと思わないことでしょう。

 キリスト教を宣べ伝えてきたパウロでさえ、十字架につけられたキリストを宣べ伝えることは、「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなもの」(1コリント1:23)と語っています。また、キリストの復活の話を聴いたアテネの人たちは、あざ笑いながら「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」(使徒17:32)といって取り合おうともしませんでした。

 しかし、それでも、主張を曲げずにキリスト教を宣べ伝えてやまない弟子たちがいたことは、ここに、かけがえのないメッセージとリアリティがあったからです。そればかりか、キリストの教えが、あっという間に地中海周辺諸国に広まっていったのは、心に響く何かを人々がキリスト教に感じ取ったからに違いありません。

 では、今の時代はどうでしょう。キリスト教は、時代遅れの魅力のない教えとなってしまったのでしょうか。わたしはそうではないと思います。むしろ、キリストの教えに出会う機会が、どんどんと減っていっているために、キリスト教の魅力を知らないまま過ごしているに過ぎないのだ、と思っています。生活の質が向上し、それなりに生きていけるうちは、人生についてあまり深く考えたり、自分と向き合って何かを思うことが、なくなってきているからです。

 コロナ時代のように、何か異変が起きるとき、立ち止まって考えざるを得ません。わたしたちの働きに関して言えば、この二年間と、それ以前の二年間を比較して、明らかに、キリスト教の番組を聴いたり、通信講座を受けてみようとする人の数が増えています。立ち止まって考えざるを得ないとき、人は頼るものを求めるものだ、ということがよくわかります。

 復活という、一見ばかげたことを宣べ伝えるキリスト教ですが、しかし、生死にかかわる問題や死後のことについての問題は、本当は、人間が一番真剣に考えていることなのです。何か自分の身に降りかかってからでは、考える余裕すらも失ってしまいます。そうならないうちにこそ、真剣に向き合ってほしい問題です。

 確かに、生死について考えるのは、重たすぎて余計に暗い気持ちになってしまいそうです。けれども、その先にある永遠の命や復活のことを、聖書を通して知るときに、前向きに生きる力が与えられます。ばかげていると思われるキリストの復活が、かえって人々に希望と慰めを与えてきたことは、否定のできない事実です。

 明日がどうなるかは、誰にもわからないことです。しかし、どうなったとしても、今も生きておられるイエス・キリストが、わたしと共にいて、わたしの人生を力強く導いてくださいます。そこに、キリストを信じる者たちの慰めと希望があるのです。



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