キリストへの時間 2022年10月9日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: まことの天地万物を造られた方

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 収穫の秋、実りの秋です。私は、四国の香川県高松市の生まれで、実家は農業を営んでいます。先祖代々、主食である稲作に加えて、生計のために、かつては蜜柑山を持ち、畑では多少の野菜作りをしていました。

 私は、幼少時に、家族で親元の実家近くに移り住んだために、いわゆる田舎育ちです。今でこそ、農作業は機械化され、コンバインに乗って一人で田植えや刈り入れもでき、籾の乾燥なども少数の手で行えるようになり、以前とは比べものにならないほど楽になりました。

 かつては、10月といえば、田園は辺り一面、黄金色に輝く、たわわに実をつけた稲穂の垂れた光景が見られたものでした。そこに至るまでの間、農夫は、夏場は日が昇る前には、稲を植え付けた田に、農業用水路から水を均等に引き入れて、夕方になると栓を締めるという作業を、毎日しなければいけません。それだけでなく、適時、草取りや肥料をやることも欠かせません。収穫時期前になると、スズメや害虫に大切な稲穂を食べられないようにと、田んぼ一面に白い消毒の粉を散布していました。そこまで労力をかけて、やっとのことで、日用の主食であるコメは収穫ができ、私達の口に入るのです。

 収穫が終われば、今度は、大きな俵に詰めたコメを、地域の神様に感謝の奉納をするのです。確かに、田植えから収穫までの間、大きな災害もなく無事に収穫が許され、豊穣であればこその収穫感謝です。古くから土地に伝わる収穫感謝祭、お祭りは、地域によっては、全国的にも知られ、かつてのように宗教性は感じられなくなったとはいえ、壮大かつ豪華絢爛に飾られた神輿、山車などを一目見ようと、各地から大勢の人が押し寄せたりします。この数年の間に、世界的な規模で蔓延した新型コロナウイルスの影響で、しばらく中止となっていた地方祭が、今年は、再開されています。日本には、各地の至る所に神々の痕跡があり、八百万の神々がいると言われています。その神々を祀るための神社や祠が、あちらこちらに無数にあります。そのご神体は、石や鑑、その土地にゆかりのある品々であったりします。

 しかし、聖書の語る神と、多くの方が信じ崇める神々は、同じではありません。聖書の語る神は、天地万物の創造主であられ、今も生きて働かれる神です。御神体としている石や木々も、真の神によって造られた被造物にすぎません。聖書は、「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。」(ローマ1:20)と語っています。

 神は、創造主であられ、造られた被造物を、御心とご計画に従って統べ治めておられます。しかし、私達は、罪によって、「心が鈍く暗く」(ローマ1:21)なり、しかも、「知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。」(エフェソ4:18)。そこで、私達は、自然界や様々な被造物を通して真の神を知り、神を正しく礼拝することが出来なくなったのです。

 人間は、知恵があり、理性的であると思い込んでいますが、「滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」(ローマ1:23)。この神々は、私達が、呼びかけ、語りかけ、祈りを献げても、「口も利けず…運ばれていく」(エレミヤ10:5)のです。

 しかし、恵みの雨を降らせ、太陽を昇らせ、季節を定めて、すべての人に命と息を与えておられる神こそ、私達が真の神として崇め、信じて礼拝を献げるべきお方です。この神は、私達に語りかけ、交わりを持たれる方です。神は、聖書を通して、聖霊の導きによって、御自分から遠く隔たっていた私達に語りかけ、御自分の御子イエス・キリストを通して、私たちと交わりを持とうとしておられます。

 私達は、聖書を通して、聖霊の導きの下で、主イエス・キリストと出会い、イエスを通して、真の神が、愛と慈しみに満ちたお方であることを知ることが出来ます。いついかなる時も、神は、主イエス・キリストによって、私達の近くにおられ、私達の心からの祈りと賛美を喜んで受け入れて下さるお方なのです。



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