月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年5月10日(日)

詩編17編 一歩一歩、揺らぐことなく

わたしは正しさを認められ、
御顔を仰ぎ望み
目覚めるときには
御姿を拝して
満ち足りることができるでしょう。(詩編17:15)

 ダビデの祈りによって描き出される義人の姿に、イスラエルの理想が映し出されます。詩人が訴えるのは、心と言葉と行為における潔白です。彼は神の裁きを恐れることなく、それを願わしいものとして求めます。罪がないのに、悪意を持つ人々から攻撃されているからです。

 私たちはこの祈りに合わせて、自分の無実を訴えることはできません。心を見通す神の目の前に置かれれば、恥じ入る他ないからです。自分自身の潔白さに頼ることはできません。しかし、私たちにはキリストから与えられた信仰による義があります。主イエス・キリストが、神と私たちの関係を繕ってくださいました。完全な義人として御自身をささげられた主イエスの正しさによって、神に救いを求め、危機のただ中にあって神を逃れ場とすることができます。

 わたしが呼べばあなたが答える、という強い結びつきの中で、私たちは瞳のように大切に守られています。不安と恐れの夜を過ごしても、御姿を拝して満ち足りる朝が、備えられています。ですから、今日も、揺らぐことなく、確かな道を歩みます。

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