月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年6月15日(月)

創世記27章 神の祝福とは何か

「多くの民がお前に仕え多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われお前を祝福する者は祝福されるように。」(創世記27:29)

 神の祝福をめぐって、えこひいき、裏切り、策略、憎しみなどが生じるとは、驚くべきことです。果たして神の言葉も、祈りも、礼拝も、欲望や嫉妬や争いや憎しみによって汚される可能性があるのでしょうか。

 イサクの家を蝕んでいた欲と悪巧みは、神の契約と祝福とをまったく泥まみれにしてしまいました。その悪巧みとうそとが露見したのにもかかわらず、父イサクは、どうして祝福を取り消し、やり直さなかったのでしょうか。それは、そこに人の思いでは変えることのできない神の約束があったからです。「二つの国民があなたの胎内に宿っており二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり兄が弟に仕えるようになる」(25章23節)という約束です。

 イサクは、約束の実現を自分にでも息子たちにでもなく、神に委ねました。やがて彼らは神の祝福を受け継ぐにあたって、信仰と謙遜と苦難とが必要であることを学んでいくことになるのです。私たちも、涙することがあっても、神のご計画の実現を神に委ねることを学びましょう。

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