月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年8月19日(水)

エゼキエル30章 頼るべきは主の御腕

主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、わたしはエジプトの王ファラオの腕を折った。見よ、彼の腕は手当てを受けて巻かれることなく、力を補う添え木を当てて巻かれることもないので、剣を取ることができない。それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしはエジプトの王ファラオに立ち向かい、その強い腕と折られた腕を共に打ち砕き、その手から剣を落とさせる。」(エゼキエル30:20-22)

 エジプトに対する審判の予告が続きます。ここには、エジプト観光の史跡巡りになる地名が、裁かれる町々として登場します。預言は、歴史のなかで成就され、私たちの今日もその歴史の延長線上にあります。

 腕を打ち砕くと言われているのは、エジプトの第26王朝の4番目の王ホフラ(アプリエス)です。彼はゼデキヤ王にいざという時の救援を確約して、バビロンに背かせました。彼は確かに約束通り派兵して助けに来るのですが、あっけなく大敗を喫し、逃げ帰ってしまいます。

 ゼデキヤは、何という愚かなことをしたのでしょうか。しかし、これは、他人事ではありません。人はいつでも人間的な手段に頼る愚行を繰り返します。自分を取り巻く今の状況からの解放だけを考えるからです。神の裁きを受けなくても済むように、人の腕にすがりつくのです。神はその両腕をへし折り、安易な期待を砕かれます。

 イスラエルは、神の腕によって支えられる民(詩98編)でした。私たちが日々頼るべきは、人の腕ではなく、真に力強い神の御腕なのです。

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