私たちは子供の頃は親の保護の中で育てられ、そして、学校で学び、徐々に親の保護を抜け出して社会へと旅立ちます。しかし、社会の中で一人立ちしたとしても、それは決して自分一人だけで生きて行くというのではありません。国家が市民である私たちを憲法や法律によって守り、職場も労働する者の権利をある程度は守ってくれるでしょう。人は皆、自分の力だけで生きているのではなく、生涯、誰かの、また何かの傘の中にあって生きており、そうするところで安心を得るのです。見よ、わたしは自らの群れを探し出し、彼らの世話をする。牧者が、自分の羊がちりぢりになっているときに、その群れを探すように、わたしは自分の羊を探す。(エゼキエル34:11-12)