月刊誌リジョイス 聖書日課 2009年12月12日(土)

2コリント5章 和解の言葉

つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。(2コリント5:19)

 法廷での争いでは、裁判官が条件を提示して和解を勧める場合、まず被害者側が納得して受け入れなければ、和解は成立しません。人間の側の不従順と反逆によって、神と人との関係は損なわれました。その関係は、人間の側の判断や行動によっては決して修復されないものです。私たちの側の最善の業も犠牲も、もし神に受け入れてもらえるのでなければ、それらは全く独りよがりの徒労に終わってしまうことになります。

 しかし、聖書が証しする和解のすばらしさは、神ご自身が真の和解の道を明らかにして、その条件を私たちに求めず、御子に求めて自ら満たしてくださったことです。ゆえに、私たちは神によって「和解させ」ていただいたのです。

 使徒ヨハネは語っています。「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります」(1ヨハ4章10節)。神の大いなる愛と赦しを知った私たちも、忍耐強く、人びとに神との和解を勧めていきましょう。

コントローラ

Copyright (C) 2009 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.