月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年1月30日(土)

フィリピ3章 目標を目指して走る

わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。(フィリピ3:12)

 イエス・キリストを信じる者は、既に罪を赦され、救いの中にあります。しかし、完全な者となり、救いが完成したわけではありません。罪が赦されていても、罪が無くなったわけではありません。今も自らの中に、罪と弱さを抱えています。だからこそ、私たちは完全な者となるように努力します。

 救われたということは、救いの完成というゴールを目指して、スタート地点から走り始めたということです。パウロはそのことを、「神が…お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」(14節)と語っています。

 信仰生活は、マラソンのようなものです。その道程にはいろいろな障害や試練があります。いつも順調に走ることができるわけではありません。躓いてしまうこともあります。それでも私たちは、完成を目指して最後まで走り続けることができます。なぜなら、私たち自身が既にキリストに捕らえられているからです。キリストは、旅の同伴者として、またゴールで待つお方として、信仰の旅路を完成へと導いてくださいます。

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