月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年2月21日(日)

詩編49編 富に頼らず、神を畏れる

人間は栄華のうちにとどまることはできない。
屠られる獣に等しい。
これが自分の力に頼る者の道
自分の口の言葉に満足する者の行く末。
陰府に置かれた羊の群れ。
死が彼らを飼う。
朝になれば正しい人がその人を踏んで行き
誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。(詩編49:13-15)

 本来神がおられるべきところに「富」を置くのが、現代人の深い病です。「金で買えないものはない」などの暴言には一応顔をしかめはしても、勝ち組と呼ばれる人びとの安定した生活基盤は、輝いて見えます。

 しかし、「富」は、人生に安心を与えません。「死」と「陰府」とが、富の限界と無意味さをあらわしています(15節)。まことの羊飼いに背を向ける羊の群れは、「死」に牧され飼われて、終わりを迎えます。すべてのものは例外なく死ぬ、この点では人も獣もなんら違いはありません。詩人は、知恵、英知、格言に思いを向け(4、5節)、死の厳粛な事実を示すことによって、「富」に過剰な期待を寄せる生き方に、警告を発しているのです。

 生活の不安には富に寄り頼み、死の不安には信仰をもって対処する、このような二刀流を喜ぶ卑屈な心が、私たち自身の内にも潜んではいないでしょうか。富があれば神に感謝し、必要なら神に求めましょう。詩人が差し出すまことの救いの道は、生も死もそのすべてにおいて、神を正しく神とすることです。

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