月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年2月25日(木)

黙示録9章 なお希望がある

このいなごには、地に住むさそりが持っているような力が与えられた。いなごは…ただ、額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい、と言い渡された。殺してはいけないが、五ヶ月の間、苦しめることは許されたのである。…この人々は、その期間、死にたいと思っても死ぬことができず、切に死を望んでも、死の方が逃げて行く。(黙示録9:3-6)

 ギリシャ神話に「パンドラの箱」というのがあります。開けてはいけない、と言われていたのに好奇心に負けて箱を開けてしまいますが、そこからありとあらゆる災いが飛び出してしまいます。あわてて蓋を閉めて、ただ一つ残ったのが「希望」だったというわけです。多様な解釈がありますが、人は希望がなければ生きていくことはできないという教訓でしょう。

 黙示録9章には、最後の希望を失ってしまった人たちが描かれます。いなごの害によって、苦しみの余り死にたいと願っても、死の方が逃げていくのです。何が恐ろしいかというと、希望のないこと、絶望しかない世界、これにまさる恐怖はありません。悪魔の支配する世界がそれです。

 しかし、「与えられた」「許された」とあるように、ここにも神の力が働いています。悪魔の力も神の御支配の下にあり、災厄は一時的であるのが分かります。その上、「額に刻印を押されていない人には害を加えてもよい」とあります。恵みの刻印を受けている神の民には、破壊的な災厄の中でも、なお希望があるのです。

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