月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年5月13日(木)

ヨハネ11章 主イエスの命を生きる

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25-26)

 ラザロが病にたおれた時、姉妹のマルタとマリアは、主イエスに知らせました(3節)。しかし主は来られず、ラザロは死んで葬られました。主イエスが来られたのは、葬られて四日もたった後のことでした(17節)。マルタの心は、主がいてくださったら、ラザロは死ななかったのに、という思いで満ちています。

 主は、マルタの思いをご存じです。主イエスのお心にあるのは、ラザロを打ち倒した死の力、そして死を前に泣き崩れるより他にない人間の無力さへの、「憤り」と悲しみ(33、35、38節)です。死とは、命の源である父なる神から切り離されてしまうことだからです。

 主イエスこそ「復活であり、命」です。この方を「信じる者は、死んでも生きる」のです。復活の命とは、神から切り離された死の闇から引き出され、神の子として誕生することです。この信仰に生きる私たちは、まことの神の子イエスの命に結ばれ、たとえ死んでも生き、もはや決して死ぬことはありません。驚くべき命へと招いてくださった主イエスに、感謝と賛美をささげましょう。

コントローラ

Copyright (C) 2010 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.