月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年5月20日(木)

ヨハネ14章 父を見ている

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。(ヨハネ14:6)

 主イエスは、今や十字架で死のうとしておられます。主は私たちをどこに導こうとされるのでしょうか。主イエスは、ご自分の十字架の死によって、私たちの罪を赦し、神の子として生きる道を開こうとしてくださいます。

 主イエスは、父のみもとに「場所を用意する」(2、3節)ために旅立ち、場所の用意ができれば、戻ってきて私たちを迎えてくださいます(3節)。そのような恵みの道はどこにあるのでしょうか。どのような道を歩めば、みもとに行くことができるのでしょうか。私たちに備えられた道は、主イエスご自身です。主と結び合わされてひとつであるなら、私たちはまぎれもなく、みもとに至る道の途上にいるのです。

 主イエスという道の上を歩むこと。それは、「既に父を見ている」(7節)と言い得るほどの、確かな歩みです。私たちは主に愛され、私たちも主を愛しています。私たちは主を知り、それゆえに、主が知っておられる御父をも、すでに知っているのです。主イエスを見る私たちの目は、すでに御父を鮮やかに見ているのです。

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