月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年6月21日(月)

サムエル上24章 ダビデの潔白さと信仰

「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ。」(サムエル上24:7)

 ダビデと部下たちは、洞窟に隠れていました。そこにサウル王が来て、用を足しました。ダビデたちは、千載一遇の機会を得ました。部下たちは、「主が…『思いどおりにするがよい』と約束されたのは、この時のことです」(5節)と王の殺害を進言しました。

 そのとき、ダビデは、王の上着の端をひそかに切り取りましたが、すぐに後悔しました。なぜなら、主が油を注がれた王であるサウルに対して、剣を向けてしまったからです。ダビデは、自らの悔い改めをもって、サウル王殺害に走ろうとする部下たちを思い留まらせました(7、8節)。そして、王が洞窟から外に出ると、ダビデもあとに続き、王に向かって恭順を表し、自らの潔白を弁明しました。自分には、王に悪意も、背く意志もないと。サウルは、このダビデの姿に触れ、自分と彼との立場が逆転し、主が彼を王にされることを悟りました。

 部下たちがダビデにサウル殺害を促したように、状況に合わせて都合良く御言葉を解釈する誘惑は、常にあります。そのなかで、そのような人の声を退け、主のみを畏れるところに、ダビデの信仰の特質があります。

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