月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年1月4日(火)

イザヤ1章 罪は雪のように白く

論じ合おうではないか、と主は言われる。
たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
雪のように白くなることができる。
たとえ、紅のようであっても
羊の毛のようになることができる。(イザヤ1:18)

 イザヤは、紀元前八世紀のユダ王国で活動した預言者です。北方に勢力を伸ばしたアッシリア帝国が、ユダ王国をはじめ近隣の小国を圧迫し、緊迫した国際情勢が続きました。

 危機の時代に、人間がなすべきことは、神への信頼であり、真実な悔い改めです。しかし現実のユダ王国は、神への信頼を捨てて人間の力を頼み、悔い改めでなく、高慢と不信仰で神の裁きを招いています。神の裁きは、決して単なる怒りではありません。ユダの指導者と民の不信仰に、神は怒りよりも嘆きをもらしておられます。

 神は、自ら悲しみを克服し、問題の解決に乗り出されます。「論じ合おうではないか。」これが神の呼びかけです。論じ合うべきはユダの罪であり、罪の赦しです。幾重にも塗り込められた緋色の罪。神はそれを雪のような純白に変えることがおできになります。雪の朝、周りの景色が一変する。そのように神はすべてを新たにすることができるお方です。罪の赦しこそ世界の真の新しさです。

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