月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年1月17日(月)

イザヤ6章 わたしを遣わしてください

そのとき、わたしは主の御声を聞いた。
「誰を遣わすべきか。
誰が我々に代わって行くだろうか。」
わたしは言った。
「わたしがここにおります。
わたしを遣わしてください。」(イザヤ6:8)

 イザヤが受けた召命は、何と厳しく、不可解な謎に満ちていることでしょう。イザヤの召命は神殿での経験ですが、現実の神殿というには、その荘厳さと聖なる性質は余りにも圧倒的です。イザヤはむしろ天上の神の御座を仰ぎ、超自然の神体験に導かれたのでしょう。

 自らの罪を深くわきまえるイザヤに、神はおごそかな清めの体験を与え、罪の赦しを与えます。贖罪の体験を経て、主なる神はイザヤを職務へと召されます。「誰を遣わすべきか」との招きに、「わたしを遣わしてください」と、直ちに召しに応じます。決して自分を誇るのではありません。ありのままのわたし、しかし罪を赦され、新たにされたわたしを、神は用いてくださると確信するのです。

 主は、民の心を閉ざすために、御言葉を語れと命じられます(9節)。ここに預言者の死の苦闘が始まります。8節の応答は、務めに伴う苦悩を受け入れる従順です。しぶとく根深い罪との実りのない戦い。そのかなたに、預言者は十字架の主を指し示しています。

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