月刊誌リジョイス 聖書日課 2010年1月30日(日)

詩編88編 十字架を見つめる

主よ、なぜわたしの魂を突き放し
なぜ御顔をわたしに隠しておられるのですか。
わたしは若い時から苦しんで来ました。(詩編88:15-16)

 地位も財産も、信頼も健康も、家族も友人も失って、もはや死んだようになったわたしに親しいのは暗闇だけ。このような絶対的な孤独は周りの人びとからはなかなか理解されることがないかもしれません。しかし、聖書はこのような孤独や苦悩を軽んじることはありません。

 この詩編では、この信仰者の苦悩は「若い時から」のものだと告白されています。人知れず負わされたその苦悩について、すべてを知るのは神だけです。しかし、その神の答えが届かないところに、わたしの絶望は極まっています。神はわたしの罪を赦さず、ついにお見捨てになった、そのようにさえ感じられます。

 このような孤独と絶望を実際に味わってきた人びとがいます。そして、本当はこれが罪のために死なねばならないすべての人の姿です。十字架につけられたイエス・キリストのことを思います。この方は十字架におかかりになり、この孤独と絶望を担ってくださいました。

コントローラ

Copyright (C) 2011 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.