月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年4月6日(水)

イザヤ19章 祝福の基

主は、必ずエジプトを撃たれる。しかしまた、いやされる。彼らは主に立ち帰り、主は彼らの願いを聞き、彼らをいやされる。(イザヤ19:22)

 この節は、「主は撃たれる」で始まり、「主はいやされる」で終わります。この変化の中心に、悔い改めと立ち帰りがあります。主は裁き主ですが、悔い改める者には救い主となられるからです。

 神がエジプトの歴史に介入されるとき、エジプトは極度の恐れに陥ります。エジプトに対する神の計画を聞いただけで、人びとは震えるのでした。

 しかし、事あるごとに、イスラエルを支配下におくために、その神を追い出そうとしたエジプトとアッシリアが、イスラエルと共に祝福の基となると預言者は言い切ります。イスラエルが、祝福される「第三のものとなる」(24節)とは、序列ではなく、エジプトとアッシリアと共に主の祝福をもたらす国になることを表します。

 神は、罪人である私たちを回復させ、恵みを注いでくださいました。私たちが先に救われたのは、神の恵みを伝える「管」として多くの人びとを神の祝福に招くためです。私たちが仕えている神は、すべての祝福の基であられる神です。

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