月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年5月20日(金)

マタイ24章 目を覚ましていなさい

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。」(マタイ24:36-37)

 主イエスの再臨は、キリスト者の人生の希望であり慰めです。キリスト者であるがゆえに受ける苦難と迫害もあるでしょう。けれども、再臨の希望があるがゆえに、キリスト者は迫害の中でも耐え忍ぶことができます。

 また、時が近づくと、苦難だけでなく、「わたしがメシアだ」と主イエスを名乗る者が、大勢現れます。キリスト者の信仰が、多くの面から攻撃され、揺り動かされることになります(5節)。最後まで、惑わされないように気をつけねばなりません(4節)。

 主は続いて、「その日、その時は、だれも知らない」、「ノアの時と同じだから」とも言われました。ノアが箱舟を造っていた長い年月の間、人びとは箱舟建造の理由を考えもせず、「食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりして」(38節)いました。しかし、突然、洪水は襲ってきました。

 再臨の日も同じだ、と主イエスは言われました。キリスト者は、目を覚まして再臨の主を待つ、緊張感溢れる毎日を生きています。

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