月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年5月23日(月)

イザヤ32章 神の霊による刷新

ついに、我々の上に
霊が高い天から注がれる。
荒れ野は園となり
園は森と見なされる。
そのとき、荒れ野に公平が宿り
園に正義が住まう。
正義が造り出すものは平和であり
正義が生み出すものは
とこしえに安らかな信頼である。(イザヤ32:15-17)

 聖書の語る平和とは、どのようなものでしょう。経済が安定し、治安あるいは国際関係が良好で、社会が平穏でありさえすれば、それを平和と呼んでよいのでしょうか。

 神の言葉を取り次ぐ預言者たちは口を揃えて、平和とは、義と公平によって統治される神の支配だと語ります。愚か者やならず者が、たくらみや暴力によってのし上がり、弱者が虐げをうけるような社会は、人心の荒廃した荒れ野にほかならないと描くのです。

 土の塵にすぎない人間に、神が息を吹き入れられると生きた者となったように、神の息(霊)こそ人間再生の力です。人間が人間らしく生き返るためには、神の義と公平が心に宿る必要があります。

 荒れ地と化した歴史と社会が再び「園」のように潤い、休息の場所になるためには、神の霊によって、地とそこに生きるものが刷新されねばなりません。すべてを公平に見る目、正しいことを正しいと判断する心、そこに平和が生まれます。そこに安らかな信頼関係は生まれる、と聖書は言うのです。

コントローラ

Copyright (C) 2011 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.