月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年8月29日(月)

イザヤ46章 担ってくださる神

わたしはあなたたちの老いる日まで
白髪になるまで、背負って行こう。
わたしはあなたたちを造った。
わたしが担い、背負い、救い出す。(イザヤ46:4)

 偶像のむなしさが繰り返し書かれています。偶像の名前が具体的に挙げられていますが、それらの神々は、自分では動くことができないばかりか、それらの像を運ぶ者たちの重荷となっています。

 それに対して、聖書の神はご自分の方から人びとのところへ出向かれます。担われる必要がないばかりか、ご自分の民を、生まれたときから年老いるまで背負ってくださるお方です。「わたしが担い、背負い、救い出す」と宣言して、救いの主体がご自分にあることを力強く語ってくださいます。

 しかし、このことは、単にわたしの生涯を主が担ってくださる、という個人の救いに限ったことではありません。聖書の神は全世界を創造し、歴史を導く方です。それも、行き当たりばったりの思いつきではなく、「わたしの計画は必ず成り、わたしは望むことをすべて実行する」(10節)と断言できる力を持っておられます。その神が全世界を救いの計画の中に導き、そこに生きる神の民を生涯にわたって担ってくださるのです。

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