月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年9月1日(木)

使徒21章 主イエスの御名のためならば

そのとき、パウロは答えた。「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」(使徒21:13)

 今、パウロはしばらくの伝道旅行の報告のために、エルサレム行きを決意しています。しかし、仲間たちは何としてもそれを断念させようとします。明らかに待ち受けている死の苦難に、自ら飛び込んで行くことをどうしてもやめさせたかったからです。

 しかし、彼は、主イエスの御名のためなら、死ぬことさえいといません。パウロの本心(本音)です。人を救い、造り変える主イエスの御名の驚くべき力を知り、それを行使することが主の御心であると確信しているからです。

 彼らは、ついに、「主の御心が行われますように」(14節)と、従います。言っても無駄だと諦めたのではなく、キリスト者の奉仕を通して神が行われる(19節)ことを悟り、パウロと同じ信仰に立ったからでしょう。

 私たちも、主の御心に自分の考えを明け渡しましょう。そのときこそ、自分の本心にまっすぐに生きることができるのです。こうして、神の働きをいよいよ見ることができるようになります。

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