月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年9月5日(月)

イザヤ49章 主はあなたを見捨てない

シオンは言う。
主はわたしを見捨てられた
わたしの主はわたしを忘れられた、と。
女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。(イザヤ49:14-15)

 バビロンに滅ぼされる前、イザヤの存命中、エルサレムの将来について、希望を語れる人がどれくらいいたでしょう。当てにならない希望を吹聴して回る人ならいたかもしれません。また、バビロンに滅ぼされたあと、なおもエルサレムの希望を語れる人がどれくらいいたでしょう。今日の聖句のように「見捨てられた」と嘆くほかはなかったことでしょう。

 順境のときには、楽観的な思いになり、自分自身を過大に評価しがちです。しかし、災難が襲いかかると、すべての望みが断ち切られたように悲観的になり、一歩も歩み出せなくなってしまうのが私たち人間です。

 しかし、聖書の神はおっしゃいます。「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない」と。そうです。神はご自分の民を決して見捨てることはありません。自分の罪の大きさに押しつぶされるのではなく、神が与えてくださる救いの確かさに目を留めましょう。

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