月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年9月8日(木)

使徒24章 神に対しても人に対しても

「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。」(使徒24:15-16)

 新旧二人の総督たちは、パウロからお金をもらおうとの下心を持って彼に接したり、ユダヤ人に気に入られようと監禁を続けます(26、27節)。敵対するユダヤ人たちは、良心の咎めを感じることなく、死刑や暗殺のことしか頭にありません。

 かつて熱心なファリサイ派であったパウロ自身もまた、キリスト者への迫害に際して、その良心が痛むことはありませんでした。ところがパウロは今、自分を囲む不真実かつ不誠実な人びとに対し、ひたすら真実かつ誠実に生きようと努めています。それは、生ける神、復活のキリストとの出会いによって、自分の罪を知らされたためです。こうしてパウロは神に対しても人に対しても、「責められることのない良心」を与えられました。つまり、罪の赦しを受け、良心が喜びの内に復活させられたのです。

 祈ることをやめるとき、私たちの良心は保たれず、窒息します。良心が対話しうる相手は、神のみだからです。絶えず生ける神の前に出て、祈りましょう。

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