月刊誌リジョイス 聖書日課 2011年9月20日(火)

イザヤ56章 区別されない喜び

主のもとに集って来た異邦人は言うな
主は御自分の民とわたしを区別される、と。
宦官も、言うな
見よ、わたしは枯れ木にすぎない、と。(イザヤ56:3)

 異邦人と宦官は、主の会衆に加わることはできない、と 申命記23章に定められています。それらの者のうち、主を慕う人は、除外された悲しみに心を痛めたことでしょう。その彼らに希望が与えられました。主の救いが実現する日には、彼らにも礼拝に集うことが許されるのです(4〜7節)。

 捕囚後に再建された神殿では、この希望は実現しませんでしたが、主イエスが実現してくださいました。主は、宮きよめをなさったとき、神殿はすべての民の祈りの家だと主張されました。その後、エルサレム神殿自体は滅亡しましたが、エフェソの信徒への手紙に、異邦人も霊的神殿の一部とされた、と記されています(2章11〜22節)。また、ローマの信徒への手紙には不信心な者までが義とされ、神に近づくことができると記されています。旧約の希望を凌駕する十字架の恵みです。

 私たちも罪深く無資格の身でありながら神の民とされ礼拝に招かれました。喜びと感謝の内に主を礼拝しましょう。希望をもって愛する人びとを礼拝に招きましょう。

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