月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年1月21日(土)

ヨハネ9章 見えるようになる

イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム―『遣わされた者』という意味―の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。(ヨハネ9:6-7)

 「アメイジング・グレイス」という有名な讃美歌があります。次のような歌詞です。

 「驚くばかりの恵み、何と麗しい善きおとずれ。かつて私は失われた者、しかし、今は神によって見出されている。かつて、魂の目は閉ざされていた。しかし、今は見えるようにされている。」

 主イエスによって救われると、かつて見えなかったことが見えるようにされます。特に自分の罪深さと神の恵みが、はっきりと見えるようにされ、主イエスこそ私を救う力を持った救い主であることも見えるようにされます。

 その結果、かつて恐れていた諸々の権威も、恐れることなく、主イエスの恵みを大胆に伝える者に変えられます。

 主イエスによって肉眼の視力が回復されたこの男性は、その魂の視力もまた回復されました。そして、この世の権力者に大胆に、主イエスの救いの御業を証しする者とされました。

 見えるようにされる主の恵みを私たちも日毎必要としています。

コントローラ


スマートフォンの方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2012 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.