月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年3月27日(火)

エレミヤ7章 神の偶像化

「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしにもそう見える、と主は言われる。」(エレミヤ7:11)

 エルサレム神殿は、神の臨在の場所であり、民の信仰のよりどころでした。4節に「主の神殿、主の神殿、主の神殿」とあります。この連呼は、切羽詰まった民が、神殿で必死に神によりすがる思いの表れのようにも見えます。

 しかし、多くの学者たちはこれを呪文と理解しています。イスラエルは、生ける神への信仰を、唱えることに意義がある呪文やまじないのようなものに変えてしまったのです。また、イスラエルは、神殿で礼拝するだけでなく、バアルに香をたき、異教の神々にも従っていました。神殿で礼拝していても、イスラエルは、真の信仰を失ってしまっていたのです。

 主イエスが、「『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている」(マタ21章13節)と指摘されたのも、同じ罪です。形式的な礼拝を献げるだけでは、祈りの家は強盗の巣に変質します。人は、神の言葉に聞き従うことで命を得るのだという真理を、礼拝において心に刻みましょう。

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