月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年5月2日(水)

エレミヤ17章 罪を示され、神に向かう

主よ、あなたがいやしてくださるならわたしはいやされます。あなたが救ってくださるならわたしは救われます。あなたをこそ、わたしはたたえます。(エレミヤ17:14)

 ここには、南ユダの罪に対するエレミヤの糾弾が記されています。1節には、その罪は石の板に鉄筆で刻まれた文字のように心に深く刻まれていて、決して消すことができない、と言われています。

 9節には「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか」とも言われています。人は誰も、人の心の奥底に潜んでいる罪を知ることはできません。また、人は誰も、心に深く刻み込まれた大きな罪を取り除くことはできません。

 エレミヤの糾弾を聞いた人びとは、悔い改めるどころか、主の裁きの言葉を「実現させるがよい」(15節)とまで語ります。彼らは、自分が病んでいることを、決して認めようとしません。

 その彼らと向き合うエレミヤが、病める者として自らを受け入れ、祈っています。「主よ、あなたがいやしてくださるなら、わたしはいやされます」と。神によって罪を示された者は、神のみが赦してくださるお方であることをも示され、赦しといやしを神に祈り求めます。

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