月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年10月7日(日)

詩編147編 主の言葉を迎え入れる人びと

主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく
人の足の速さを望まれるのでもない。
主が望まれるのは主を畏れる人
主の慈しみを待ち望む人。(詩編147:10-11)

 世の中には、どこまでも尽きることのないスピード競争が溢れています。競争は人を疲れさせます。ましてそれが、神への畏れを忘れさせるならば、どうでしょうか。

 いにしえから、すでに、神は人間の進む道に抑制を与えてくださいました。主が望まれるのは、主を受け入れることに速やかであることです。運動能力や科学技術が、どれほど進展しても、主を受け入れることは、人のわざではありません。それは、ただ、「御言葉」が「速やかに走る」(15節)時です。

 主イエスの約束された聖霊は、五旬祭の日、突如として天から降られました(使2章)。聖霊が生きて人びとの心に働きかけてくださるとき、人びとは、聖霊降臨の日のように、罪を悲しみ、主の救いを喜んで迎え入れるのです。「御言葉を遣わされれば」(18節)、かたくなな冷たい心は溶かされ、人びとは、主の言葉を受け入れます。聖霊を祈り求め、今日も、主の言葉をともに迎え入れましょう。

コントローラ


スマートフォンの方はこちらから再生(mp3形式)
Copyright (C) 2012 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.