月刊誌リジョイス 聖書日課 2012年11月4日(日)

箴言25章 神の僕たる王

ことを隠すのは神の誉れ
ことを極めるのは王の誉れ。(箴言25:2)

 真の王である神にはすべてが明らかです。ことを極める必要がありません。むしろ、神は知っている事柄をむやみに明らかにしないからこそ称えられるべきお方です。たとえば、いつどこで誰がどんな最期を迎えるかを前もって知らされたとしたらどうでしょう。かえって人生を有意義に過ごすことなどできません。

 反対に地上の王は人間ですから、すべてを知っているわけではありません。しかし、すべてを知らないからといって、それを理由に王としての責任をあいまいにしてはいけません。

 25章は、王に関する箴言です。王たる者の心得というより、王に与えられた地位や役割に重要な意味があることを教えています。イスラエルでは神ご自身が、真の王でした。それゆえ王は、何よりも神の御心をたずね、それに従って国を治める必要がありました。真の王であられる神の僕として仕え、民を治めていくことこそ王の名誉です。それはすべて上に立つ者にも言えることです。

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