月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年4月5日(金)

1コリント1章 神の憐れみによって聖徒とされた者

コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。(1コリント1:2)

 パウロは第二回の伝道旅行の際、コリントでの伝道・牧会によって、コリント教会の礎を形成しました。それから三年後、彼が対岸のエフェソに滞在していたときに、その後の教会内部の混乱を聞かされました。その問題解決のために、この手紙を書いたのでした。

 コリント教会の信徒たちは、世俗的、人間的な問題を多くかかえていました。パウロは、その教会に対して、冒頭の挨拶部分で「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々」へと語っています。

 なぜこのような言葉を語ることができたのでしょうか。確かに人間的に見れば未熟な信徒たちでしたが、彼らも神に「召されて聖なる者とされた」のです。神は彼らをも選ばれ、神のものとされました。

 今の私たちが彼らの歩みを非難することはたやすいことでしょう。しかし、自らの心の奥底に潜む肉的な醜さは、彼らと何の違いがあるのでしょうか。今日、私たちがキリスト者としての歩みを許されているのは、ひたすら神の愛と憐れみによる召しに基づくものです。

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