月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年4月16日(火)

エゼキエル6章 神の栄光を移す大罪

「お前たちのうちで逃れた者は、捕囚として連れ去られる先の国々でわたしを思い起こす。わたしを離れ去る姦淫の心と、偶像にひかれる姦淫の目をわたしが打ち砕くからだ。そして…その忌まわしいすべてのことのゆえに、自分を嫌悪するようになる。そして彼らは、わたしが主であ(る)…ことを知るようになる。」(エゼキエル6:9-10)

 神はエゼキエルを反逆の民へと遣わします。それは彼らの罪を示し、彼らが自分の罪を悟り、神に立ち帰って命を得るためでした。

 その罪の中で最も悪質なものは、神の不滅の栄光を滅びゆくものに移しかえる罪、つまり偶像崇拝です。この罪の源泉からもろもろの罪悪が流れ出ると言えます。ですから神はエゼキエルを通し、もっぱら罪悪の源である偶像崇拝を批判し、この大きな罪への神の激怒を明示するのです。それはこの6章にとどまらず、こののち8章からも繰り返されていきます。偶像をあらわす言葉は何種類かありますが、ここでは「こねまわされる汚物」、つまり「糞」(4章12節)に由来する表現を、繰り返し用います。神はこの汚れを大いに嫌うからです。

 熱情こもる福音を、一連の厳しい罪の告発のなかで語ってくださる神に感謝しましょう。神が、私たちの偶像に引きずられる心を打ち砕き、私たちの中に罪を嫌悪して主なる神へ立ち帰る思いを創造してくださるのです(36章25〜32節参照)。

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