月刊誌リジョイス 聖書日課 2013年5月16日(木)

エゼキエル22章 自分の罪によって汚される

「お前は諸国民の前で自分の罪によって汚される。こうして、お前はわたしが主であることを知るようになる。」(エゼキエル22:16)

 ここでエルサレムは、「流した血によってお前は罪を負い、造った偶像によって汚される」(4節)と言われています。王たちは権力におごり、民たちの血を流してきました。また、人々も偶像礼拝に走り、生活が乱れていました。

 そのような神を畏れない人々の振る舞いに対して、主は「わたしの手を打ち鳴らす」(13節)と言われます。普通、手を打ち鳴らすのは喜びの表現ですが、これは怒りの表れです。それは「お前の心は耐えられようか。お前の手の力はうせないだろうか」(14節)と言われるほど、恐ろしい裁きとなるものです。

 これは神ならぬ者を主としたところから生じた罪の結果です。王たちは弱い人々の血を流し、偶像に頼ることによって、自らの欲を満たそうとしました。けれども、それで満たされるどころか、「欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコ1章15節)。罪の解決は、自ら行えるものではなく、罪に勝利された主に依り頼むしかありません。

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